寄稿「5mの橋で地球をまたぐ」 奄美大島宇検村とブラジルの百年 東京在住 池田泰久
懐かしさ込み上げたブラジルでの交流
そして、宇検村ブラジル移民100周年を迎えた2018年。渡さんによると、村内ではこの節目を祝う機運が大変盛り上がったという。同年7月、宇検村長や村議会議長らがサンパウロで開催された「ブラジル鹿児島県人会創立105周年記念式典」および「宇検村ブラジル移住100周年記念祝賀会」に出席するため、ブラジルを訪問した。その準備に奔走したのが当時、同村出身で村役場の総務企画課長であった渡博文さんである。 博文さんは、初めてのブラジル訪問を懐かしさと感動が交錯する想いで振り返る。サンパウロ・グアルーリョス国際空港に到着した際、迎えに来てくれた1世の移住者たちが、今では奄美大島でも耳にすることが少なくなった美しい島口(奄美の方言)で話しかけてくれたことに、深い感銘を受けた。「その瞬間、ブラジルは遠く離れているのに、心はすぐ近くに感じました。ただただ懐かしい気持ちに包まれました」と語る。 奄美大島の各地域でも方言や訛りが少しずつ異なっているが、さらに集落ごとに微妙な違いが見られるという。博文さんは、移住者たちの言葉からどこの集落出身であるかすぐに分かったと話す。200人近くの宇検村出身者とその家族らが集まった交流会では、「まるでどんちゃん騒ぎでしたが、懐かしさに溢れ、初めて会った気がしませんでした」と、笑顔で振り返る。祝賀会では、村から持参した黒糖焼酎「れんと」を振る舞ったが、故郷の地酒とあって、あっという間に無くなってしまった。「もっと持ってくればよかったですね」と苦笑いを浮かべる。 訪問初日、移民上陸の地、サントスへ向かう途中に渡った巨大な川と、その両岸の広大な原生林も印象に残ったと振り返る。奄美大島では、マングローブ林をカヌーで探索でき、観光客にも人気がある。博文さんは「これは観光資源になりませんか」と尋ねたが、現地の同行者からは「こんなのは普通だから観光にはならない」と言われ、さらに驚かされたという。 「やはり規模が違いますね。でも、ブラジルに暮らしている方も、奄美と気候や雰囲気が似ていると言っていました。私もそう感じました」と、遠く離れた二つの土地の共通性を肌で感じたという。 ブラジルで出会った人々の友好さも印象的だった。「現地で日本人というだけで信頼されていることが伝わってきました。移住者の方々が現地で頑張ってこられたおかげだと思いました」。 博文さんは、10年前に家系図を調べた際、父方の祖父の兄2人が戦前にブラジル移住していたことが分かったという。「祖父は5人か6人兄弟の3番目でしたが、2番目の兄については昭和元年(1926年)頃にサンパウロで住民登録していました。ただ、もう一人の兄については、島を出てから関東で一度働きブラジルに渡ったようで、あまり詳しいことは分からないでいます」と少し残念そうに話した。