寄稿「5mの橋で地球をまたぐ」 奄美大島宇検村とブラジルの百年 東京在住 池田泰久
脈々と続く交流の歩み
『宇検村 ブラジル移民百周年記念誌』には、ブラジルに渡った宇検村出身者たちが、故郷との絆を大切に守り続けてきたことが記されている。その象徴が「伯国橋」だ。奄美大島が日本に復帰を果たした1953年、ブラジルに住む村出身者54人から湯湾集落へ約25万円の義援金が贈られた。当時の日本の国家公務員の大卒初任給が8千円弱であった中、この金額は非常に大きく、故郷の復興を願う強い思いが込められていた。 寄付金の使い道は村内で幾度も議論された結果、出身者たちの願いでもあった村の敬老会や学校への寄付のほか、戦時中の空襲で壊された湯湾川の橋の再建に充てられることとなった。橋は感謝の意を込めて「伯国橋」と名付けられた。渡さんは、「この橋は宇検村において、両国を繋ぐ大切なシンボルになっています」と語る。 その後も、ブラジルに住む村出身者たちは故郷に帰る際、多くのお土産を届けてきた。生涯学習センターの入り口には、寄贈者の名前と帰郷年を記したメモと共に、ワニやピラニア、大アリクイといった剥製や宝石が展示されている。当時の村の広報誌「うけん」では、帰郷した出身者一人ひとりのブラジルでの暮らしが紹介されており、出身者の帰郷が村全体で歓迎されていたことが一目でわかる。 ブラジルからの支援は故郷奄美に向けられたものばかりではない。1978年に設立されたブラジル奄美会館(サンパウロ市ヴィラ・カロン区)は、奄美出身者たちの拠り所として、運動会や懇親会など各種行事で利用されてきた。その設立に際して、出身地奄美内の市町村では「百円募金運動」が行われたという。 平成の時代に入っても交流は続いた。島の地元紙「南海日日新聞」が報じた長期連載「ブラジルの大地で 奄美移民80年の軌跡」の初回記事(1998年11月4日付)によると、それまでは縁戚同士の交流が中心であったが、1998年の奄美ブラジル移住80周年の際には、奄美から初の親善訪問団がブラジルを訪れた。 こうした周年の記念式典には、村長や職員らがブラジルを訪問し、現地の移民関係者たちとの絆を深めてきた。また、2010年の奄美豪雨災害時には、ブラジル在住者が世話人となり、義援金を募る活動も行われた。