農薬開発の環境安全性は、メダカと藻類と外来ミジンコで測られている
実験に使う生物はたった3種類!?
たった3種でいいのか? と疑問に思う人も多いと思います。先にも書いた通り、この地球上の生態系は膨大な生物種から成り立っています。たった3種ぽっちの生物種の試験で、農薬が安全か否か分かるわけないと、生物学者じゃなくても考えるに違いありません。せめて100種ぐらい試験した方がいいのではないか、と言いたくなりますが、OECDではそんなプランは論外とされます。第一に、製薬会社に対してそんなにたくさんの試験を要求したら、試験費用が利益を上回り、製薬会社はあっというまに倒産してしまうことになります。同様に政府が試験を肩代わりすれば莫大な国税が必要とされます。つまり、安全性と経済性の両方を考えて、ギリギリの妥協点がこの3種に対する毒性試験だったのです。 さらに、OECDでは、各国が出して来る試験データを簡単に比較、あるいは共用できるように、試験生物そのものも可能な限り「同じ系統」のものを使おう、と考えています。藻類ならPseudokirchneriella subcapitataという学名をもつ種、ミジンコならオオミジンコ、そして魚類はメダカと特定の種を使うことを加盟国に推奨しています。ここで今回、特に注目して頂きたいのがオオミジンコです。このミジンコは普通のミジンコにくらべて、10倍近く大きい種で、生体になると5ミリメートル近くになり、栄養状態がいいと赤みがかっていて、ビーカーの中でも泳いでいる状態が肉眼ではっきりと見ることができます。最近では、熱帯魚屋さんとかでもペット用に売られていることがあるので、一度機会があったら見てみてください。
どうしても効率性が優先 農薬の安全性評価の実情
OECDが指定してきているので、日本でも農薬の生態毒性試験は、このオオミジンコを用いて実施されています。ところが、実はこのオオミジンコ、日本には生息していない、アメリカ原産のプランクトンなのです。つまり外来種。そう考えると、生物学的な疑問がわいてきます。日本には日本のミジンコが生息しています。にも関わらず、なぜアメリカ産の外来種を使うのか。そもそもアメリカのミジンコで試験して、日本の生物に対する安全性を評価できるのか? とりあえず、OECDの説明では、ミジンコなどの動物プランクトンの様々な種の間での薬剤感受性の差は、濃度にして10倍程度の範囲内に収まるので、オオミジンコで試験して、危ないとされる濃度が出れば、その濃度に10分の1をかけた数値が、概ねどのプランクトンも死なない濃度となると考えられる、さらに拡大解釈すれば、どの甲殻類も大丈夫であろう、と判断できるとされています。しかし、これは後付けの理屈に過ぎず、OECDの目的は、先にも書いた通り、農薬のスムースな国際取引であり、そのための試験生物の「グローバル化」に過ぎません。 この理屈は、生物多様性の概念から大きくかけ離れるものです。最初に書いたように最近は、害虫にしか効かない薬や、あるいは、害虫の中でも特定の種にしか効かない薬も開発されています。このことは、裏を返せば、同じ昆虫でも種によって感受性が大きく異なることを示しています。ということは当然、おなじミジンコでも、日本のミジンコとアメリカ産の外来オオミジンコでは薬の効き方が全然違う場合もあるはずで、その感受性差は10倍くらいでは済まないと考えられます。 実際に、アメリカ産オオミジンコで試験をして、高い濃度でないと影響が出ない、すなわち安全性が高いと評価された農薬を使って、日本のミジンコや水生昆虫で試験してみると、すごい低濃度でも全部死んでしまった、というケースが少なくないことを筆者も研究で確かめています。 つまりアメリカ産オオミジンコで安全性が確かめられても日本のミジンコや水生動物は守れない、ということを意味します。これは生物多様性の概念を考えれば実に当たり前の話といえます。どんな生物種にも遺伝子の多様性があり、薬剤の効き方にも個体差や、種間差が存在します。しかもその差は薬剤の種類によっても程度が違う。つまり生物の多様性と薬の多様性の組み合せによって、薬剤の生態系に対する影響パターンは大きく変化するのです。 そう考えると、農薬の安全性評価が、いかに複雑で難しいことかが分かります。やはりたった3種の、しかも世界共通の生物を試験しただけでどの農薬が安全か、危険かは判断できません。でも、そんなことを言っていたら、いつまでたっても薬剤は開発できないし、ほかの国に売ることもできない。生物多様性と経済の対立。これが、世界の農薬事情の理想と現実といったところなのです。