「どうせ年金はもらえない」年金不信はいつどこから生まれた!? 専門家の見解
賦課方式? 積立式? 2000年代にされた議論
不信感が急速に広がった2004年以降、特に年金制度の根幹である「財政方式の見直し」について、さまざまな議論がなされた。 財政方式は現在まで長い間、「賦課(ふか)方式」が採用されているが、2000年代は経済学者や社会保障の専門家から「少子高齢化によって賦課方式は成り立たなくなるから、積立方式にしよう」という議論が出始めたという。 賦課方式とは、そのときに必要な年金給付費用を、そのときの被保険者(加入者)からの保険料で賄っていく財政方式のこと。現在の高齢者が年金をもらえるのは、賦課方式の制度のもとに現役世代が存在するからであり、現役世代が将来年金をもらえるのは、下の世代が存在するからだ。 「よくよく考えると、健康保険も同じ仕組みなんです」と玉木さん。 「大病を患って100万円の医療費がかかることになっても、その医療費はほとんど被保険者の保険料で賄われる。けれど健康保険料を積立にしようという話が出ないのは、誰でも病院にかかる機会があり日頃から健康保険の必要性を実感できるから。一方、年金というのは現役世代にとっては体験したことがなく、もらえることを想像できない。そこに公的なものへの不信感も乗っかって、賦課方式に反対する声が出始めたのです」 しかし玉木さんは、年金を個人の積立で賄うのは最も危険だと警鐘を鳴らす。 「みんなが平均寿命で亡くなるわけではなく、死亡年齢は平均寿命の周りに分布します。女性の平均寿命(2023年)は87.14歳ですが、80歳で亡くなる人もいれば95歳で亡くなる人もいる。その前提に立ったとき、一体いくら積み立てておけばいいでしょう? 自分の寿命は平均くらいと思っていても、想定より10年長生きしたら、あっという間に数千万円かかります。平均より長めの90歳まで生きると見ていても、89歳のときに元気だったら、91歳はどうしよう、92歳はどうなってしまうんだろう、と不安になる。不安を解消するために国民全員が寿命とは関係なく100歳まで生きることを前提に貯金をする、なんてことも非現実的です」 個人での積立のほかに、2000年代は社会全体での積立に転換する議論も生まれた。各世代ごとに将来どのくらい年金が必要なのかを計算して、それに合わせた金額を世代ごとに積み立てていくという方式だ。 積立方式で積み立てていく保険料は、より十分な給付のために政府によって市場で運用され、その利益分も給付に充てられるが、運用の結果次第では年金額が大幅に変動するという特徴がある。この性質を踏まえたうえで玉木さんは、個人、社会全体に関わらず、積立方式それ自体の根本的な問題点について、このように言及する。 「積立方式の欠陥は、積み立てられた保険料(積立金)を運用のために取り崩す際に露呈します。『取り崩す』とは、積立金として持っている債券や株式などの金融資産を誰かに『売る』ということですが、それを買うのは一体誰だと思いますか? 『買い手』となるのは、所得があり、将来の支出に備えて資産形成をしようとしている現役世代しかいません。『少子高齢化で現役世代の数が減り賦課方式は維持できないから、積立方式に変えるべきだ』と主張しているのに、取り崩しの際には、買い手となる現役世代がたくさんいる、あるいは、取り崩される資産を買うだけの経済力があることを前提にしているのです。これでは論理的に破綻しています」 賦課方式でも積立方式でも、高齢者が十分な年金をもらえるかどうかは、国民所得が大きい場合ということで共通していると、玉木さんは続ける。 「積立方式を支持する方の多くは、『少子高齢化すると、若い人が将来もらう年金は少なくなって払っただけもらえないことになり、世代間の不公平が生じる。でも世代ごとに積み立てて、高齢になったらそれを取り崩してその世代の給付に充てるならば、世代間の公平が確保される』と主張します。ですが、前者の『少子高齢化で経済が縮小する』という問題、あるいは『世代間の不公平が生じる』という問題も、国民所得が大きいということだけがソリューションとなるのです」