「どうせ年金はもらえない」年金不信はいつどこから生まれた!? 専門家の見解
「1971~1974年の日本は第二次ベビーブームです。それより以前に1947~1949年の第一次ベビーブームがあり、70年代は彼らが20代の大人になっている。子どもから若い大人まですごく多かった時代で、都市部は当然過密で地方も過疎化が今ほど深刻ではなかったんです。『せまい日本そんなに急いでどこへ行く』という交通安全の標語が流行語となったのもこの頃で『とにかく日本はごちゃごちゃしていて人が多すぎて嫌だなあ』という印象が僕自身にはありましたし、社会全体の空気もそうだったように思います」 1970年代、老後のことを考える真剣度合いも今より低かったという。 「寿命が違いますからね。認知症になる前に亡くなるケースが多かったですし、がんは治らない病気と認識されていました」
2004年「政治家の年金未納問題」で不信感が爆発
1980年代、日本の経済は絶頂期を迎える。 直前の1979年には、ハーバード大学名誉教授の社会学者であったエズラ・ヴォーゲル氏が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本を書き、ベストセラーになった。 「日本のテレビや車が海外で飛ぶように売れ、大企業で定年退職は当たり前どころか、定年後も子会社に行けることが当然のように信じられていた。『政治は三流だが、経済は一流』と言われるほど、80年代は社会人一人ひとりが誇りを持って働いていて、日本中にパワーが満ちていたように思います。それがご存じの通り、90年代に入ってすぐバブルが崩壊します」 バブルが弾けた1990年代初め、玉木さんは日銀の銀行マンだった。90年代前半から2000年代前半までを「非常に暗い時代」と振り返る。 「80年代は大企業が銀行から大金を借りて株を買う、そんなクレイジーな時代でした。案の定、90年代になってお金を返せなくなるわけですが、それによって銀行がどんどん潰れていき、預金者が預金を取り戻そうと店頭へ殺到する騒ぎまで起こったんです。また、ちょうど1993年にそれまで38年間にわたった自民党単独政権が倒れ、それ以降は政権が目まぐるしく変わり、政策における意思決定の主導権を握っていた官僚への不信感も増大。バブル崩壊を受けて意図しない非正規社員が生まれる就職氷河期もやってきました。新しい災いが連鎖するように引き起こされ、出口のない真っ暗な未来へと進んでいるような閉塞感が、90年代から10年ほどは漂っていたように思います」 政治や経済に対して積もりに積もった不信感が、年金に対して爆発したように現れたのが2000年代中盤だと玉木さんはいう。この頃、年金を取り巻く様々な問題が起こったなかでも、政治家の年金未納問題が社会に最もインパクトを与えたとの見解を示した。 2004年は、小泉内閣閣僚の年金未納が発覚。それを追及した当時の民主党・菅直人代表も未納だったと発覚して党代表辞任に追い込まれた。 現在は廃止された社会保険庁による「年金記録問題」が起こったのは2007年。基礎年金番号に統合されていない持ち主不明の年金記録が約5,095万件にものぼることが判明し、これが社会保険庁廃止のきっかけとなった。 また、年金の財源は、保険料を収める人口の増減に影響を受けるが「この頃の財政検証で見通していた出生率よりも実際の出生率が低く出たことも、財源への不安が高まったひとつの要因」という。 「様々な問題が出てくるなかでさらに悪かったのは、当時は今ほど社会全体で年金に対する理解が広がっていなかったこと。年金制度は非常に複雑で全体像を理解するのは容易ではないですが、そもそも公的なものへの不信感が社会全体にあるわけですから、理解できなさと不信感が重なって、メディアや専門家による『年金は危ない』という主張が多くの共感を集めました」