“白壁の町”岐阜・飛騨市でディープな「古川祭」と「朴葉寿司」の秘技に迫る【第3回】
「料理の材料は、みんな朝市で揃えたもの。どれも地元で採れたんです。朴葉は殺菌作用があるので、昔は農作業などに持っていきました。具に薄焼きの卵を入れる家庭もあって、家によって少しづつ味も違います」という。 漆原さんの自家製シソジュースや、福山さん指導のもとつくった「スライスキュウリの酒粕あえ」や、東さんのオリジナルレシピである、米油と米粉をつかった、大量のごま塩とシソ入りの野菜かき揚げも並べられた。 座布団にそれぞれ座り手を合わせてから、つまようじを外して朴葉を開くと、木の芽と朴葉の香りがふわりと鼻を抜ける。口に運べばしみじみうまい。素朴なのに実に上品だ。具の鱒の甘味やひめ竹の苦みがいいアクセントになっているが、なんといっても、米自体がうますぎる。くぅ、悶絶。 ふふふ、と漆原さんが満足そうに笑って言った。 「ミネアサヒは、品評会で特Aランクのお米なんですよ。このあたりは、水がきれいだし寒暖の差が激しいから、糖をたくさん蓄えたお米がとれるの。人間も同じで、生ぬるい環境より厳しい環境のほうがよく育つでしょう」と。なんとも耳の痛い話であるが、ミネアサヒ恐るべし。重いけど、帰りにひと袋、買って帰ろう。 「米といえば……」と、今度は福山さんが話し始めた。 「たしか飛騨市に移住して家を建てると米俵をもらえるんです。1年間に1俵(60㎏)。それが10年間、続くって」 「10年も!?」 「昔からご飯はなんとかするから、っていう土地だからねえ」 「そうよね。はははは」 古川町でお祭りや宴席、お祝いのときに歌う『ぜんぜのこ(古川音頭)』という民謡には、「ゼンゼノコ、マンマノコ」の歌詞がある。それは「銭やオマンマ(ご飯)がなくても、どうにかなるから古川においで」という意味があるのだと4人は教えてくれた。この歌を地域の人は子どものころから歌い続ける。 いまは車もあり、食べるものもたくさんあって、実際には困ることはそうそうないが、豪雪地帯の何があるかわからない環境だからこそ困ったときは助け合って生きてきたのだろう。そして冬の厳しさに耐えて思い切り皆で春を祝う。そんな懐の深さと伝統を愛する気持ちは、脈々と受け継がれているようだ。 取材・文・写真/白石あづさ