“白壁の町”岐阜・飛騨市でディープな「古川祭」と「朴葉寿司」の秘技に迫る【第3回】
荒ぶる“町のもうひとつの顔”が見られる「飛騨古川まつり会館」
さて、そんな美しくも穏やかな時間が流れる古川の町が年に一度、沸騰するのが春の「古川祭」だ。「飛騨古川は古川祭があってこそ、団結するんです」と力説する市の職員、石原伶奈さんの迫力に押されて「飛騨古川まつり会館」に寄ることにした。飛騨古川の市街地の鎮守社である気多(けた)若宮神社の300年前から続く例大祭で、毎年4月19~20日の2日間おこなわれる。ここに来るまで知らなかったのだが、ユネスコ無形文化遺産にも登録されているらしい。 館内には彫刻が見事な本物のまつり屋台や豪華なもてなし料理を樹脂で再現したものなどが展示されている。案内してくれるのは、自らも根っからの祭り男である飛騨市観光協会の三本木辰吉さん(29歳)だ。中学生時代から笛を吹き、社会人になってからは獅子舞を舞っているという。 「古川祭は『起し太鼓』が動、『屋台曳行(えいこう)』が静と、2つの顔を持つ“静と動の祭り”といわれています。起し太鼓は、かつて祭りを始める合図として夜中に太鼓を叩き町民を起こして回ったからその名がついたのです」
「みんな、起きて~!」と叩いていた合図がどうして時代を経てこうなったのか、いまでは1000人のさらし姿の上半身裸の男たちが、酒を飲み続け深夜までもみ合いぶつかり合う行事となった。 「大太鼓を乗せた櫓(やぐら)をめがけて、12組の『つけ太鼓」がわれ先にと突っ込みます。つけ太鼓とは各組の小太鼓を麻縄で3.5mの棒の中央につけたもの。大太鼓の櫓につけるのが名誉あることとされているので、街角で待ち伏せするんです。待ち伏せしている間は棒を立ててよじ登って腹ばいになる『とんぼ』をして勇敢さを見せつけたりします。私、一度、調子こいて落ちましたが、先輩がしっかり下で受け止めてくれました」 なんとも荒っぽい行事であるが、このはちゃめちゃな(よく言えば団結力のある)古川男性の気質を指して「古川やんちゃ」と呼ぶらしく、地酒の名前にまでなっている。 「うちの親父も荒くれでした。祭の音を聞くと血がたぎるというか、いまはもう引退して、だいぶおとなしくなりましたけど」 壁に貼られた祭の年表をじっと見ていると1906年には起し太鼓で警察署に突っ込み、ガラス戸49枚を割ったと記されている。これはうっかり突っ込んでしまったのではなく、祭りの名を借りた古川やんちゃ男たちの大襲撃事件ではないのか。 「おそらくですが、『危ないから起し太鼓はもうやるな』とでも警察に釘をさされて腹を立てたのかもしれません。そしてまた、1929年にも警察署に突っ込んでいますね(笑)。いまはそんな荒いことしてませんけど」 ふだんは鯉をかわいがり、川を掃除する穏やかな古川の人々からは想像もつかないが、それだけ年に一度の祭にエネルギーをぶつけているのだろうか。まるでリオのカーニバルのようだ。祭りの動と静は、そのまま古川の人の気質にもあてはまる。 「古川の人の多くは祭りのために1年を生きていると言っても過言ではありません。祭りの1ヵ月前から練習が始まるのですが、仕事が終わった後、練習をして皆で地酒をたらふく飲んで毎晩、深夜に家に帰る(※早く帰る人もいる)。太らないのかって? 1ヵ月で5㎏太りますが、祭りで3㎏痩せますから(※2㎏は毎年太る)。『祭りが終わるまでの1ヵ月間、俺はいないもの……単身赴任していると思ってくれ』と嫁さんには言っています」 「ご家族が寝静まった後に家に帰ってくるんですね。奥様は何と?」 「多分、心の中で『こいつ、馬鹿なのかしら?』と思われているだろうと想像しますが、『私には関係ないし、好きにやってくれ』と言われています。……まあ、祭りに参加する上で一番大切なことは、嫁さんの理解とお許しを得ることですね、ええ……」 体の半分は地酒でできていると思われる、やんちゃ男の声が次第に細くなっていった。