なぜ同級生の菅君は「新しい菅直人」になれなかったのか 残念だった「ヒットラー」投稿
3月30日の朝刊には一斉にこの話が掲載され、NHKはタンカーの模型までつくって解説した。発表者は枝野幸男官房長官(当時)であった。僕は官邸への電話のあと、ツテをつうじて原子炉をつくった東芝と現場に入っていた鹿島建設にも連絡したため、いくつかのルートでこの話が広がったのだが、朝日新聞は「首相官邸を中心に28日に浮上した」と報じた。これが正しいのだ。 結局この案は、タンカーの接岸と上部の遮蔽が難しいことから実現しなかった。 このとき僕は、官邸を実際に切りまわしているのは枝野長官だと感じた。菅総理は周囲を怒鳴りまくっているうちに浮いてしまったのだろうか。応用物理が専門で原子力に関する知識も豊富な彼は、陣頭指揮をとることによる支持率挽回を狙ったのだが、その熱心さがかえって裏目に出たようだ。混乱しているときに総理が被災地を視察することにも批判が多かった。
一方、福島第一の吉田昌郎所長(当時)も同じ大学の後輩でボート部だった。ボート部の友人から「東電に大酒飲みの豪傑の後輩がいるからよろしく」といわれ、その存在を知っていた。吉田所長は、首相官邸と東電本社が海水注入を躊躇したにもかかわらず自分の判断で注水を決断した。総理と社長の命令を無視するというのは簡単にできることではない。まさに豪傑だ。事前に予防措置をしなかったという批判もあるが、結局のところ命がけで日本を救ったのは、彼をはじめとする現場に残った人たちであり、自衛隊、消防隊の協力であり、国民は彼らに感謝すべきである。「病気と事故と直接の関係はない」とされているが、吉田昌郎君は本当に一命を捧げたのだ。 また東日本大震災全般に関して、義援金を送ってくれた国々(中でも台湾)の人々に感謝すべきである。そして一時は80キロ圏外に撤退しながらも「トモダチ作戦」に切り替えて被災地を支援した米軍の機動力は見習うべきである。東京電力本社、経済産業省、原子力安全委員会といった偉そうな連中は、いざというとき何の役にも立たなかった。菅総理に批判が集中したが、本当にダメだったのは日本の中枢組織そのものではないか。とはいえその責任を負うのも総理というものだ。