動画配信サービスから配膳ロボットまで!“U-NEXT”デジタルビジネスの裏側
そんな宇野は過去に2度の修羅場を経験、それを不死鳥のように乗り越えてきた。 宇野の父・元忠がU-NEXT HOLDINGSの前身、「大阪有線放送社」を創業したのは1961年。主にバーやスナックなどの飲食店とケーブルを結んで店舗向けBGMを配信していた。 その2年後、1963年に宇野は生まれる。中国系移民の家系に生まれた元忠は24時間、仕事一筋。家庭をかえり見ることのなかった父に反発していたと、宇野は言う。 「尊敬している部分もあるのですが、人間性では、こういう人にはなりたくないなという思いも一方にあり、反面教師的に強くなっている部分もあって、跡を継ぐのだけは嫌だと思っていました」(宇野) バブル絶頂期の1988年、大学を卒業した宇野は「リクルートコスモス」に入社。わずか1年で会社をやめ、25歳で仲間たちと人材派遣会社の「インテリジェンス」を創業する。 順調に会社は成長。株式上場の準備を進めていた矢先、宇野に人生の岐路が訪れる。 母から一本の電話があり、急いで大阪の病院に駆け付けると、父は末期がんだった。ベッド脇の宇野に、父は「会社を継いでくれ」と言った。
実は、有線は大きな問題を抱えていた。当時、国会議員団が有線の違法状態を調査する映像が残っている。音楽を流すため、全国の加盟店とケーブルをつないでいたのだが、有線は電柱を無許可で使い、使用料も払わないという違法状態を続けていた。それが国会でも問題となっていたのだ。 「父の後始末は身内がやるべき」と、宇野は社長を継ぐことを決断。だが、解決には莫大な人手と費用が必要だった。 「これをやらないと会社の未来はない。いずれサービス停止に追い込まれる可能性は非常に高い状況でしたから、『やり遂げなきゃいけないんだ、やれるんだ』と」(宇野) 宇野は社員を鼓舞し続け、全国に3000万本という途方もない数の電柱の調査を断行した。そして1年後、郵政省への届け出が完了。過去の電柱使用料の未払い分も含め、約500億円の返済を約束した。その時、宇野はこう述べている。 「ただいまをもちまして、届け出の受理が完了しました。本当に皆さんのおかげで、これが完了し、我々が起こした奇跡がきっと、我々の会社の歴史と日本の歴史と世界の歴史を変えていく瞬間になると確信している。みんなで力を合わせてこれからもがんばっていきたいと思います。ありがとうございました」