精神科医がすすめる、節約が必要な老後に「豊かな食生活」を送る方法
高齢になると食が細り、食事に楽しみを見いだせなくなっているという方も多いのではないでしょうか。いつしか、食事の前に「いただきます」と声に出すこともなくなり、質素な食卓に侘しさを感じることもあるでしょう。そんな中で、食卓を豊かに変える秘訣とは? 書籍『お金をかけない「老後」の楽しみ方』から紹介します。 【図】健康診断で必ずチェックすべき「4つの数値」 ※本稿は、保坂隆著『お金をかけない「老後」の楽しみ方』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
一人の食事でも「いただきます」「ご馳走さま」の心を忘れない
食事の前には「いただきます」、食事が終わった後には「ご馳走さま」と言い、また「いただきます」のときには合掌をし、「ご馳走さま」のときには軽く頭を下げる......。現在、老いに向かう世代なら、こうした習慣は自然に身についていると思います。 しかし、夫婦二人の食卓、あるいは「ひとり老後」だったりすると、つい、食前食後の挨拶も忘れて「さあ、ご飯にしようか......」とつぶやくぐらい。食後も、黙って立ち上がってはいないでしょうか。一人暮らしなのだから、あるいは少々くたびれてきた伴侶がいるだけだから、何も改まってそんな挨拶は必要ないだろう、と思うかもしれません。 でも、「いただきます」「ご馳走さま」は単なる挨拶以上の意味を持っているのです。目の前の食べ物に対する深い感謝や思いが込められた言葉だということを、みなさんはご存じでしょうか。 実は世界を見渡しても、食事の前に合掌するという習慣を持つのは日本人だけのようです。英語では、一家の主や客人を招いた人などが「Let’s eat.」(さあ、食べましょう!)と言うぐらい。フランス語では「Bon Appétit.」。直訳すれば「よい食欲を!」(食欲が盛んでありますように)。 つまり「どうぞ、食事を楽しんでください」という意味ですが、これはレストランのギャルソン(給仕)などが料理を出したときに使う言葉。本来は、食事をする人は特に決まった挨拶はしないようです。 中国語にも「いただきます」に当たる言葉はなく、ときに「吃吧!」(チィバッ!)と言うことがあるようですが、これは英語の「Let’s eat.」と同じで、「さあ、召し上がってください」という言葉に当たるようです。 一方で日本語の「いただきます」には、こうした言葉とは本質的に違った意味合いが持たれています。私たちが口にする食べ物は、肉や魚は言うまでもありませんが、野菜や果物もみな命ある存在です。その命を「いただいて」自らの生命活動の源にしていく――。それが、動物である人間が生きていくうえでの宿命です。つまり、「いただきます」は、ほかの生命体の命をいただくことに対する心からの感謝の言葉なのです。 キリスト教でもイスラム教でも、食事を与えてくれた神に対する感謝は捧げますが、地球上で展開される食物連鎖に対する感謝を含む「いただきます」とは本質的に異なるでしょう。 「いただきます」という言葉の根底には、生命の営みに対する深い哲学があると私は考えています。また食後の「ご馳走さま」は、あちこち走り回って今日の食卓を調えてくれたことに対する感謝の言葉――。転じて食卓に並んだものを、ありがたくいただいたことへの感謝の言葉ともいえるでしょう。 仏教精神が流れる日本の食事作法には、はじめから終わりまで「万物に対する感謝の念」がいっぱいに込められています。ですから食卓に向かうのが、たとえ一人であっても、食事の前には「いただきます」を、食事が終わった後には「ご馳走さま」と口にすることを、おろそかにしないようにすべきです。 こうした感謝の心があれば、たとえ質素な食卓でも「わびしい」と思うようなことはなくなります。それどころか、一回一回の食事を大切に思う気持ちが強くなっていき、ひいては食べること、生きること、こうして命を長らえていることへの思いも深まっていくでしょう。