「ひとりでも産みます」ーー子宮頸がんを経験した女性が授かった命と育てる決意 #ydocs
人手不足。分かってはいたものの…
2021年の春。サキさんは子供を帝王切開で出産したが、まもなく子供が仮死状態に陥り、NICU(新生児集中治療室)に入った。無事回復したが、「妊娠中にムリしたことが原因だったのではないか自分を責めた」という。 退院後、母子二人の暮らしがワンルームのアパートで始まったが、とにかく「いつから働けるのか」ということが不安だった。 子供の将来のためにも早く仕事に復帰して稼ぎたかったが、預け先の保育所は、どこでもいいわけではなかった。職場とできる限り近い場所を選ばなければ、ワンオペ育児の時間を確保できないためだ。 ところがサキさんが希望した保育所は倍率が高く、しばらく抽選待ちの状態に悩まされる。 カフェの人手が足りず、急遽出勤するときは一時保育で預けたいところだったが、その一時保育も抽選制で有料。かろうじて空きがある認可外託児所は家から片道30分弱かかった。しかも割高。でもそこに預けざるを得なかった。 せっかく無理して産前に貯金したのに、このままでは家計はひっ迫していってしまう。負のスパイラルにも陥りかけていた。 出産前は、「出来るだけ早く仕事と育児を両立させる」という理想や目標を描いていたサキさんだが、いざ出産してみると上手くはいかない現実に直面した。 子供を預け、働く。 このとてもシンプルなことに悪戦苦闘する日々だった。
子供がもたらした家族関係
そんなサキさんのピンチを支えたのは、家族と周囲の人たちだった。 子供が生まれて一番大きな変化は、不仲だった母・マリコさんとの関係だった。マリコさんは初孫の世話をするため、午後9時過ぎに神奈川県の新百合ヶ丘駅の職場から約1時間かけて通ってくれた。子供を挟んで、母と向き合う時間も増えていった。 そして、マリコさん以外にも、サキさんが幼少の頃から家族付き合いがある女性や、カフェの共同経営者など、様々な人がサキさんを支えてくれた。 苦労があっても嫌な顔ひとつせず、常に周りの人々にほがらかに接するサキさんの人柄と、ひたむきに息子へ愛情を傾け続ける姿勢が、周囲の人たちを動かしたのかもしれない。そして、そんな周囲の人々の温かさに、出産前は人の世話になることを極力避けていたサキさんも、自然と周囲の人々に頼るようになっていった。 サキさんがカフェに復帰したのは出産から3カ月たった頃。 依然として保育所は決まらなかったが、カフェではアルバイトの数が足りなくなる事態が生じていた。応募をかけ、面接をする時にはサキさんが対応しなければならない。 アルバイトが無断欠勤をした時など、急遽、赤ちゃんをおぶって店に出る事もあった。 出産から8カ月たった頃には、カフェの人員不足も危機的状況になったため、一時的に割高な認可外保育園に入園し、人手の穴を埋めた。0歳児クラスの入園は特に倍率が高く、結局、出産からおよそ1年経ってようやく認可保育園に入園したのだった。