82歳料理家・村上祥子 終戦後に同級生がガリガリでも健康優良児だった私。家にはバターや砂糖もあったが、それで「豊かな食生活」かというと…
◆生まれて初めて作った料理 体格が華奢だった父は終戦直前に招集され、山口県沿岸部の護衛部隊に所属しましたが、すぐに戻って来ました。 戦後、私が物心ついた頃のことです。 母は気苦労が多かったのかもしれません。何か持病があったのかもしれません。具合が悪く床に伏せることが多い人でした。 昔の家では、病人はお座敷に寝かせるのが常でした。 電燈には風呂敷を被せて薄暗くして。 7歳の私は、 母が心配で部屋を覗きに行っては戻り。 ねえやは故郷に戻されたし、お嬢さん育ちの祖母はまるで家事ができない人です。父も皆目できません。 そこで私は蒸した、ほかほかのご飯を母に持って行きました。 どこかで「蒸す」という調理を見たのでしょう。 とにかく(あったかいものを食べさせなくては)と子ども心に思ったのだと思います。それが、私が生まれて初めて作った料理です。
◆子どもだってご飯を作りたい! 子どもって、 食いしん坊で食べてばっかりいるイメージがありますが、 一方で作ってあげようと考えることもあるのじゃないかしら。 私の息子も、やっぱり7歳ぐらいだったかな、撮影の仕事を終えてもどってきて座りこんでいる私に、砂糖をたっぷり入れたアイスコーヒーをご馳走してくれました。 ガラスのグラスになみなみと入れたアイスコーヒーを、こぼさないように運んできた真剣な顔をよく覚えています。 もうそれだけで、母親の疲れは吹き飛んじゃいますよね。 今まで私は、いろんな小学校で食育の授業を行ってきました。 そのなかで、電子レンジでご飯を炊いてもらいます。 浸水しなくてもおいしいご飯が炊けるんですよ。 それを受講したある男の子が、お母さんが風邪をひいたときに、弟と一緒に電子レンジでご飯を炊いてあげたんですって。 お母さんはとても喜んで、その顔を見た男の子は、次にサバのみそ煮(これも食育のレシピ)を作ったそうです。 お母さんから「とってもうれしかったです」というメールをいただきました。 もちろん、 お母さんが作るご飯を食べるのもいいけれど、 子どもだって作りたい。 一緒に作ったり、作ってあげて感謝をされたりするのも、子どもはうれしいのだと思います。