料理人歴50年、中華の巨匠・脇屋シェフが表現する“中華鍋を使わない中華料理”とは?
【森脇慶子のココに注目】「Ginza 脇屋」
今や、中華もカウンターやフレンチスタイルのヌーベルシノワがすっかり定着。少量多皿で味わう中華料理は、さして珍しくもなくなってきたが、昭和の時代、中華はまだまだ大皿が定番。メニューを開けば、料理のサイズは大盆、中盆、小盆のみ。その小盆でさえも、ゆうに2~3人前はあろうかというボリュームが当たり前だった。それゆえ、中華料理といえば、大人数で卓を囲み、大皿料理をみんなで取り分ける、宴会料理というイメージが定着していたように思う。少人数はNG。ましてや中華でデートの選択は、なかなかハードルが高かったものだ。
そんな中華シーンを一変させた立役者の一人が、あのアイアンシェフ、脇屋友詞氏だ。赤坂「トゥーランドット 臥龍居」や「Wakiya一笑美茶樓」「Wakiya迎賓茶樓」等々のオーナシェフにして、東京チャイニーズを牽引してきたレジェンドでもある。その脇屋シェフが、料理人歴50年を迎えて新たに始動。去年の12月、自らの名を冠したレストランを銀座にオープンした。その名も「Ginza 脇屋」だ。
銀座に構えた自社ビルの1~2階に設えたそれは、ある意味、脇屋シェフの“私房菜”と言ってもいいかもしれない。ことにカウンター8席のみの2階は、劇場型オープンキッチン。いわば、8席すべてがシェフズテーブルとなっている。思えば、脇屋シェフ、今まで携わってきた店はいずれも大型の店舗ばかり。僅か8人という少人数を相手に自ら腕を振るのは、初めてのことなのではないだろうか。何十人、何百人相手の料理と8人相手の料理では、自ずと内容は変わってくるもの。
空間も含め、この店は色々な意味で、脇屋シェフにとっての集大成であると同時に、次なるステップへの新たな挑戦とも言えそうだ。「この店でメインで調理するのは僕1人。僕がいない時は、店は休みにしています」の一言に、脇屋シェフの強い意志が感じられる。
エレベーターを降りると、シックな照明の中、緩やかなU字形を描く栃の木のカウンターが、落ち着いた趣を醸し出している。オープンキッチンの店内は、一段高い場所におくどさんが設えられ、どこか和を漂わせる美食の空間。一番奥には、チャイニーズでは見慣れぬ炉窯が存在感を放っている。ふと見渡せば、中華料理店ではおなじみの五徳も中華鍋も置いていない。その理由を脇屋シェフがこう説明してくれた。