エース石川祐希の<高校時代>。当時の強豪チームは短髪、練習着は全員そろいが大半だった。でもそれが勝敗に関わっているかというと…
◆結果は自分に返ってくる<自主性>を重視した練習 <自主性>と聞けば、人によってとらえ方はさまざまかもしれないが、つねに監督から指示を受けて、いわれるようにやらないと怒られる環境とは真逆で、サボろうと思えばサボることだってできる。 でも、サボれば確実に自分に返ってくる。 象徴的なのが星城高の伝統的な練習でもある30分走だ。 その名のとおり30分間、学校の校庭をひたすら走るメニューだ。 走るのが得意な選手もいれば苦手な選手もいるし、その日の体調もある。 だから「必ずこの距離を走りなさい」と決められるのではなく、それぞれの判断に委(ゆだ)ねられる。 決められているのは「30分」という時間だけだ。 そこで毎日全力で走って、自分の限界に挑戦するか、面倒だからと手を抜いて走るかは自由だ。 でも、結果は自分に返ってくる。 だから、むしろ僕は強制されるよりもよほど厳しい環境だったと今でも思っている。 ボール練習も同じだった。 基本的には竹内先生から、今はこれが必要だというメニューが提示されるが、そこに加えて僕たち選手が練習内容を加えていく。 スパイクをもっとやったほうがいい、この間の試合でディフェンスがよくなかったからディフェンスの練習をしたい、と考えれば自分たちでメニューを考えて、実際にボールを打つのも竹内先生ではなく選手同士で行う。 入学したばかりのころは、どんな大会があるのか、どういうサイクルで回っているのかを理解していなかった。 でも、日々練習していくなかで、インターハイや東海大会、国体(国民体育大会)や春高などさまざまな大会につながる県予選や地区大会はほぼ1年をとおして開催されることがわかっていった。 それにともない、最初は全国ベスト8を目標にしていた僕も、自分たちで考えながら強くなるために練習する星城高校で、少しずつ高い目標を抱くようになっていった。
◆仲間のためにがんばるということ 高校時代に学んだことは、ほかにも数え切れないほどにある。 竹内先生は本当に選手の自主性を重んじる人だった。 普段から怒ることは滅多にないし、技術のことで怒ることはまずない。 でも、そんな竹内先生が何度も繰り返し僕たちに言い続けて、ときに厳しい言葉で 伝え続けたのが、人を重んじることだった。 とくに下級生には、「先輩のために戦う」ことの大切さを教えていただいた。 大会が近づいたときはもちろん、事あるごとに竹内先生はこう言った「3年生のためにがんばれ」 1年生のときだけでなく、2年生のときも同じだ。 僕のように1年生から試合に出ている選手には、より強く言っていたかもしれない。 バレーボールはチームスポーツだ。 当然、先輩も後輩も関係なく、チームが勝つためにそれぞれの力を尽くし、役割を果たす。 僕も「先輩のために」という思いはつねにもって戦っていたつもりだった。 でも、本当の意味で、「3年生のために」と意識した瞬間があるとしたら、高校2年の春高だ。