エース石川祐希の<高校時代>。当時の強豪チームは短髪、練習着は全員そろいが大半だった。でもそれが勝敗に関わっているかというと…
◆先生からの叱責をきっかけに、チームのエースとして意識したこと 1年のときはベスト16だった。 2年のときは夏のインターハイを制し、国体も制した。 あと1つ、1月に開催される春高で勝てば、僕らは三冠を達成することになる。 大会前から注目されるようになっていたけれど、「優勝候補」といわれることに対してプレッシャーは感じていなかった。 春高が迫れば、練習試合も増える。 竹内先生の雷が落ちたのはそんなときだ。 当時、チームではエースとして、僕が攻撃の中心にならなければいけないことは理解していた。 ただ、同学年には山崎や神谷もいるので、攻撃枚数が少ないわけではない。 いろんな選手がいるなかで、自分も決めればいい。 僕なりにそう思って、日本一、三冠を目指してやっていたつもりだった。 しかし、竹内先生は、そんな僕の姿勢を強く叱責した。 「お前が打たないでどうするんだ。俺がチームを勝たせるんだという気持ちでプレーして、引っ張って、3年生を勝たせるんだよ」 いろんな経験を重ねた今の自分ならば、僕のプレーがあまりよくないことと、3年生に対する思いとはかかわりないと、イコールではないと、言い返すこともできるかもしれない。 でも、そのときは素直に「そのとおりだ」と思って反省し、より強く「3年生のために」と意識をしたことを覚えている。
◆2013年1月、ついに二度目の春高が開幕した 初戦となった2回戦の駿台学園戦から僕たちは勝ち進み、3回戦では東福岡高校、準々決勝で鎮西高校、準決勝で鹿児島商業高校を破り、大塚高校との決勝へと進んだ。 準々決勝までは3セットマッチだけれど、準決勝からは5セットマッチになる。 普段からよく練習試合もしてきた大塚高校を相手に、僕らは先に1セットを取ったあと、大塚高校が2セット目を奪取。 3セット目を僕らが取り返し、デュースまでもつれた第4セット、優勝まであと1点と迫った25対24のマッチポイントで、僕にサーブの順番が回ってきた。 そのとき、僕は決して大げさではなく、心からこう思った。 「この1本に勝敗がかかっているんだ。3年生を勝たせるため、この1本、獲るぞ」 バレーボールを初めてから数えきれないほどのサーブを打ってきた。 けれど、何も考えずに打つよりも、その1本に意味を込めて打つときのほうが、僕の場合はいいサーブを打てる確率が高い。 人によっては「大事な1本だ」と気負ってミスをしてしまうかもしれないけれど、僕はそう思ったほうがいいサーブを打てる。 三冠を決めた1本は、まさにそんな1本だった。 「3年生のために」打ったサーブは、サービスエースになり26対24。 3対1で星城高の初優勝が決まった。 インターハイ、国体に続き春高を制して三冠を達成した瞬間、僕はとにかく嬉しくて、「よっしゃ、決めたぞ!」と心からはしゃいだ。 勝った瞬間はとにかく嬉しくて、表彰式のときも僕はずっと、3年生の先輩たちや同級生後輩たちと笑っていた。 ※本稿は『頂を目指して』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
石川祐希