元テレ朝アナ竹内由恵「この子はお腹をすかせて死んでしまう」…“おっぱい”と向き合い授乳に苦しんだ日々を明かす
元テレビ朝日アナウンサーで、現在はフリーアナウンサー・タレントとして活躍する竹内由恵(38)さん。2019年に退社するまで、『ミュージックステーション』、『やべっちF.C.』、『スーパーJチャンネル』、『報道ステーション』など同社の人気番組を数々担当してきた。 今は、夫と3歳の男児、1歳の女児と共に、夫の勤務地である静岡県に暮らしている。 数年前からInstagramに投稿してきた、子どもとの日々を独特なタッチで描くマンガが話題になり、初著作『なんとかなるさ! ヨシエのとほほ、くすくす日和』(祥伝社)として発売された。この中では、決して順風満帆でなかった子育ての様子も明かされている。 赤ちゃんを「家族の一員」と思うようになるまでに時間がかかった理由や、授乳に苦しみ「この子はお腹をすかせて死んでしまう!」と思い詰めた日々は、竹内さんにとってどんなものだったのだろうか――。 (以下、同書から一部抜粋・再構成して紹介)
神様のように尊い「赤さん」
本編のマンガのなかで私が「赤さん」といっていること、ちょっと不思議に思われた方がいるかもしれません。そこにはこんな思いがありました。 「天からの恵み」「神様からの贈り物」。生まれてきた子どものことをよくこんなふうにいいますが、私にとって子どもは「恵み」や「贈り物」以上のもの。まさに神様そのもののような存在でした。 漠然とですが、第1子出産前の私は、子どもは生まれたその瞬間から自然と家族の一員になるものだと思ってたんです。 でも、実際は全く違っていました! 産んだ私がいうのもなんですが、自分の子どもがとにかく神々しくて、とても尊いものに思えたのです。尊くて、家族というより他人で、誰よりも気を遣わなければいけない相手に感じられました。 もちろん、生まれたての子どもは手厚く守らなければならない存在。ですが、私の場合は「家族」として守るという感覚とは少し違っていて、大切な「ゲスト」として全力でお守りしなければならない、といった感じでした。振り返れば「家族の一員」になるまでには意外と時間がかかったなと思います。これは自分でも、とても意外なことでした。 もしかしたら、私がそれまでの人生で、子どもと関わる機会がほとんどなかったことも関係しているのかもしれません。同時に、「家族を作る」ということに対してどこか不安があったので、子どもとの接し方や関わり方は、まさに手探り状態でした。 どんな手探り状態だったかといえば、私は「ちゃん」をつけて呼ぶことができませんでした。生まれたばかりの我が子は、私にとって神のように尊い存在。そのため、「ちゃん」づけで呼ぶなんておこがましいというか、失礼なことだと、無意識のうちに思っていたのかもしれません。 なので、半年くらいは自分の子どもを「さん」づけで呼び、敬語を使って話しかけていました。名前はもとより、「赤ちゃん」ではなく「赤さん」です。お風呂に入れるときは「赤さん、お湯加減はいかがでしょうか?」みたいな(笑)。ちょっとでも泣こうものなら「赤さん、大丈夫ですか!」と駆けつけて、それはそれは丁重に、丁寧に接していたのです。