元テレ朝アナ竹内由恵「この子はお腹をすかせて死んでしまう」…“おっぱい”と向き合い授乳に苦しんだ日々を明かす
おっぱいと向き合った1年間
そんな尊い「赤さん」がお召し上がりになるものといえばミルクですが、授乳は私にとって最大の難関でした。「ママになって何が大変だった?」と聞かれたら、真っ先に「授乳!」と答えます。 私の場合は母乳がうまく出なくて、安定して授乳できるようになるまでに1週間ほどかかりました。この間は赤さんがお腹をすかせて泣いているのをただ聞くことしかできなくて、「ああ、自分からは何も出せない……」と精神的にとても苦しかったです。 その後も神経質になりすぎていたからなのか、きっちり決まったペースで授乳しないと私自身の体調面のバランスが崩れてしまい、母乳が出なくなったりもしました。子どもが満足する量が出せるようになるまで、思いの外時間がかかりました。 そして、私の神経質がうつったのか、長男の“おでこちゃん”がだんだんと粉ミルクを受け付けなくなって、「母乳しかダメです」という状態に……(おでこちゃんだけじゃなく、結局妹の“まめこちゃん”もそうなりました)。こうなると、もはや子どもを人に預けることができない……というか、私と子どもが少しも離れられない関係になってしまったのです。 3時間以上誰かに子どもを預けるなんて論外ですし、一緒にいても「3時間に1回母乳をあげないと、この子はお腹をすかせて死んでしまう!」くらいの気持ちで、常に気を張って接していました。今思えば、ただならぬ緊張感を持って過ごした1年でした。おでこちゃんが生まれてからの1年間は、常に授乳のことを考えて過ごし、とにかく自分のおっぱいと向き合う日々だったといっても過言ではありません。 とはいえ、こうした授乳事情を抱えつつも、私は楽しくお仕事をしていました。収録のある時は子ども同伴で通勤です。静岡と東京を往復する新幹線の中で授乳して、楽屋でも収録の前後に授乳して……。何よりも優先すべきは授乳ですから、授乳のために人前で胸を出すことなど、もはやお構いなしになっていきました(もちろん授乳ケープはしています)。 それまでは、自分の胸はどこか神秘的なものというか、秘めておきたい、奥ゆかしいものとして捉えていたんです。でもおでこちゃんが生まれて、授乳することになったのを機に、胸に対するイメージは一変! 一生懸命に母乳を飲んで、どんどん大きくなっていくおでこちゃんを見て、「胸ってこのためにあったのか!」と感激。神秘ではなくて、すごく動物的な機能を果たすものなんだと実感しました。胸なんて誰にでも見せられる! とまではいいませんが、「秘めておきたい」というこだわりはどこかへ消え去りました。昔はこそこそと小声で「おっぱい……」と言っていたのが、今では親しみを込めて、しっかりはっきりと「おっぱい!」と言っています。ホント、不思議なものです。