改ざんに揺れる日本 “先進国”アメリカの公文書管理制度とは?
2016年大統領選挙の民主党候補だったヒラリー・クリントンの「電子メール問題」はまさにこれがポイントであり、国務長官時に私的サーバーを使い、外国機関に連絡をしたことが選挙戦の大きな争点となった。私的サーバーを使ったことで、夫ビル・クリントン大統領らと共同運営していたクリントン財団関連の連絡などの中に「何か公開できない内容もあったのかもしれない」という疑惑が広がったのは記憶に新しい。 また、現在のトランプ大統領が矢継ぎ早に繰り出すツイートについても、2017年1月20日の就任以降は「公文書扱いとし、公文書として記録する」という見解を国立公文書記録管理局が出している。
外交や安保では情報公開の例外規定も
ただ情報公開については例外規定もあって、必ずしもすべて透明であるわけではない。公開請求があっても非公開とすることができる適用除外事項も少なくない。それには、国家安全保障の情報や部内人事事項、個人のプライバシー、事業者関連の営業上の秘密などが含まれている。 例えば外交文書は、記録作成から機密のレベルに合わせて一定期間を経て機密指定が解除され、国務省から国立公文書館に移管・公開されるのだが、それについて解除されないケースもある(ケネディ大統領暗殺捜査資料の機密指定情報については、特別に1992年に法律を作り、2017年10月にすべて公開する予定だったが、実際は一部を非公開としての開示となった)。
「リーク」で浮かび上がる真実
時の政権の意向で、さまざまな文書がなかなか公開されない場合は、情報公開の請求者が訴訟を起こすこともある。さらに、内部の関係者がメディアにリークし、真実が浮かび上がるケースもある。例えば、日本でも知られているのが「ペンタゴン・ペーパーズ事件」(1971年))と「ウォーターゲート事件」(1972年)である。 「ペンタゴン・ペーパーズ事件」については、国防総省(ペンタゴン)から依頼調査を担当したシンクタンク研究員がその報告書を持ち出した事件である。この調査は、ベトナム戦争の際、アメリカが本格的にベトナム戦争に介入する前に戦争に勝てるかどうか、1967年に国防総省が研究者グループにシミュレーションを依頼したものだった。「アメリカは勝てない」とするその内容は、ベトナム戦争に突き進む当時のジョンソン、その後のニクソン政権は一切公開しなかった。非公開に業を煮やした同研究所で研究に加わった研究者の一人のダニエル・エルズバーグは、反戦運動に役立たせる目的で1971年に研究所からその「ペンタゴン・ペーパーズ」を盗み出し、ニューヨーク・タイムズとワシントンポストに持ち込んだ。両紙が一大スクープとして報じる中、ニクソン政権は両紙を機密漏洩罪で訴え、記事を差し止めようとしたが結局、最高裁で敗訴した。 「ウォーターゲート事件」は、ワシントンのウォーターゲートビルにあった敵陣営・民主党の選挙対策本部をニクソンが盗聴しようとした事件である。結果的にはニクソンはこれで大統領を辞めることになるが、ワシントンポストの二人の記者(ボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン)がさまざまな取材を展開し、他のメディアも次々に関連情報を報じることで、辞任のきっかけとなった。ただ長年、「ディープスロート」という謎めいたニックネーム以外、ワシントンポストの情報源が誰だか分からなかった。しかし、2005年に事件当時のFBI副長官のマーク・フェルトが「私がディープスロートだ」と名乗り出て、世界が衝撃を受ける。フェルトはニクソン政権に強い不満を持つており、捜査情報を内部告発の形でメディアに伝えた。 どちらのリークについても、当時は(あるいは現在でも)「巨悪を倒す」といった形でメディア側を支持する世論が大きかった。しかし政治的分極化の進んだ現在のアメリカで、内部の人物がメディアへのリークを行った場合、賛否が巻き起こるかもしれない。例えば、ロシア疑惑に対して、連日のようなメディアに対するリークが続いているが、トランプ政権を支持する共和党支持者には拒否反応がある。 話を日本に戻せば、日本では財務省文書改ざん問題に関するメディアへのリークについては、今後、取材過程の検証などを通じて明らかになってくるかと想像される。