改ざんに揺れる日本 “先進国”アメリカの公文書管理制度とは?
「公開」の制度化、外国人にも請求権
第2次世界大戦後、公民権運動に代表されるような「平等」や市民的自由・人権が重視される時代の流れが訪れる。冷戦構造の中で、国益を重視するという目的の下に情報公開が滞る傾向があったが、これに対する強い反省が沸き上がった。政治的腐敗を防ぐためにも情報公開を徹底させるべきであるという声が高まっていったのである。ジャーナリストや法律家が情報公開を強く主張し、世論も「知る権利」は支持した。 この動きを背景に、公文書の「記録」だけなく、「公開」についての規則も作られていく。 1966年制定の「情報自由法(FOIA)」、および1972年のウォーターゲート事件(後述)直後の74年の同法改正で、連邦政府の公文書に関する情報公開の仕組みが一気に整備された。情報公開は「例外的な措置」ではなく「原則」であるとされ、行政文書は公開されることが義務付けられるようになった。また、各行政機関は記録の請求があったときは何人に対しても速やかに該当する「記録」(公文書)を平等に利用させるように徹底された。 興味深いのは、請求権に外国人を含んでいる点であり、世界各国のメディアがこの制度を使ってアメリカの省庁からの情報を入手し、数々の世界的なスクープを残している。その中の一つが、1979年に日本の共同通信がスクープした金大中事件(1973年)に関する秘密文書の暴露である。当時の朴正煕大統領の政敵である金大中氏(後の大統領)を東京のホテルから拉致誘拐した事件の犯人について「事件は韓国中央情報部(KCIA)の犯行であることを韓国政府および米政府が認めていた」という事実が情報自由法に基づく共同通信の情報請求で詳細に明らかになった。
法改正で「記録」対象拡大、メールやSNSも
情報公開のため、さらなる公文書記録が徹底されていく。政府の文書は勝手に廃棄してはならず、徹底的に保存させていく必要性が強調されていく。上述の連邦記録法に加えて、行政(執行)の中心にいる大統領に重点を置いた制度として、1978年には大統領記録法が導入され、大統領と副大統領の公文書の公開が進められた。 1996年の連邦記録法の改正(電子情報自由法)では、「記録」の中に電子情報も含まれることになった。電子メールも公文書として公開する可能性があるため、保存義務が生じている。 さらに「透明性で開かれた政府」を公約として発足時から強く打ち出したオバマ政権時には、2014年の法改正で公文書の保存についての罰則規定も強化したほか、行政機関の職員は原則公務でメールを送受信する場合は公用のメールアカウントを使うことを義務づけた。また、個人のメールアカウントを使って公務を行った場合は公用のアカウントにCCで送付するか、20日以内に転送しなければならないと定められた。