改ざんに揺れる日本 “先進国”アメリカの公文書管理制度とは?
日本で公文書化・公開が遅れる理由
日本の場合、情報公開が遅れるには理由がある。 アメリカの場合、政権交代が頻繁にある国である。しかも省庁の幹部クラスは政治任命で急に組織に入ってくる。常に情報を公開できる形にしておかないと組織が動いていけない。執行権(行政権)は大統領に一元化されており、省庁間の情報共有も比較的可能である。 また、前述のようにアメリカは連邦主義に基づく政治システムである。連邦政府の権限が20世紀半ば以降強くなっているものの、外交や戦争、貨幣の統一など憲法に規定されているもの以外は、基本的に州に権限がある。「地方分権」というレベルではなく、州は独自の憲法があり、情報公開に限れば独自のルールを持っている。連邦政府としては、州との役割分担のためにも情報を開示する必要性がある。 これに対し、明治維新以来の中央集権的な政治システムである日本は、中央政府の役割が強い。特に日本は官僚の役割が非常に大きい。官僚が政策をつくり、それが行政権のある内閣が提出する「閣法」となっていく。本来、立法府である議員が作る法律は「議員立法」と特殊なものと名付けられるが、その数は全体の1割程度である。つまり、官僚がルールをつくり、それを運用するシステムとなっている。当然、政策に関する情報も公文書も「霞が関」に集中する。 日本の場合、国家公務員の総合職試験を突破した後は、各省庁の組織内で昇進していく。情報は省内に蓄積され、省内組織でさまざまな状況に対応できるようなノウハウは残っていくが、それは他省庁などとの共有を前提としてはいない。 また「優秀な官僚に任せておけば大丈夫」という意識が日本人の中にもあるのは事実だろう。そのため、情報公開はなかなか進まない。当然、情報公開は遅くなるし、公文書に対する意識も薄い。日本でもようやく21世紀に入って、2001年の情報公開法、2011年の公文書管理法がそれぞれ施行された。逆に言えば、それまで数多くの政策情報が記録されず廃棄されたほか、そもそも開示請求の制度自体がなかった。日本で国立公文書館が設立されたのは1971(昭和46)年のことだ。