「また、命つなげられた。泣いた」肺がん患者の約1%の遺伝子変異が見つかる 『がんゲノム医療』の最前線
40代で肺がんと診断され、余命半年と宣告された男性。その後、最新の治療とであったことで診断から8年たった今も、フルタイムで働けるほど元気だといいます。 男性が行ったのは「がんゲノム医療」 どんな治療法なのでしょうか。 【動画】余命半年の肺がん男性が『治療薬』に出会うまで
静岡県焼津市に住む52歳の青島央和さん。青島さんは肺がんを患っていますが、いまは、治療を一切受けず暮らしています。病気がわかったのは8年前の2016年9月。健康診断で、右の肺に影が見つかったのがきっかけでした。 (青島さん)「私実はたばこ吸ってないんですよ、タバコ吸ってないのになんで肺がんなんだろうというショックもありましたね」 青島さんがまとめた闘病の記録です。がんが見つかった後、すぐに手術を受けます。がんは3・8センチ、予想より大きくリンパ節にも転移していてステージⅢの進行がんでした。
“余命半年”宣告 「この家族を置いて僕はもう死ぬんだ」
右肺の3分の1を切除し、抗がん剤などによる治療を受けましたが、その後、左の肺にも転移しているのが見つかりステージⅣに。次の治療が効かなければ“余命半年”と宣告されました。 (青島さん)「それから眠れなくなった。夜寝たら朝起きられないんじゃないかとか、もしかしたらもう起きないままそのまま死んじゃってるんじゃないかとか。起きたらもっと病状が悪くなってるんじゃないか」 当時46歳。妻と2人の子どもの4人家族で息子は高校2年生、娘は小学6年生でした。 (青島さん)「この家族を置いて僕はもう死ぬんだみたいな感じでかなりショックでしたね。病室で泣いてましたね。」 (妻・あかねさん)「手術で終わりかなと最初は思っていたけど方向が変わったので、その時はかなり自分の中で、しっかりしようというか本人が一番辛いだろうからと思ったので、わたしが一緒に泣いている場合じゃないかなと」
考えが変わったきっかけは『患者会』との出会い
「ほかにできる治療はないのか」青島さんは情報を求め、肺がん患者の会に参加するようになりました。そこで患者同士が自分のがんのタイプや治療方針をしっかり理解して話し合う姿に衝撃をうけたといいます。 (青島さん)「自分の治療歴とか、病歴とか、淡々とお話をされていて、私はその話を聞いて、僕は何も知らないじゃんって思ったんですよ。自分の病状について、肺腺がんとか手術をしたとか、そのぐらいしか知らないんですよね。ちょっと勉強しようというきっかけをもらった」 肺がんについていちから学び始めた青島さん、勉強会などに参加するなかで、希望を見出したのが・・・ 「がんゲノム医療」でした。