34年前の「俺たちやったぜ(やっちゃったぜ)」なホンダのバイク
RZの大ヒットを見たホンダは急いで市販2ストバイクの「MVX250F」を発売したが、市販2ストエンジンのノウハウを持っていなかったので、性能や扱いやすさで問題が残り、販売面で苦杯をなめた。 実際、乗ってみれば2ストには、人の感性を刺激する官能性がある。なによりもエンジンの内部抵抗の小ささからくる、アクセルを開くとくわっと一気に回転数が上がる吹け上がりはなかなか素晴らしい。 1983年にはスズキが同じく2ストエンジンを採用し、市販車初のアルミ合金製フレームを採用した「RG250ガンマ」を発売。これまた大ヒットとなり、レーサーレプリカのブームが始まった。 ●真の伏兵、カワサキ スズキのガンマ、そしてヤマハが1985年に発売したレーサーレプリカの「TZR250」は競うようにしてモデルチェンジし、売り上げを伸ばした。が、当時のホンダは負けたままでいる会社ではなかった。1986年にNSR250Rを発売。素早い技術開発とフルモデルチェンジで性能を向上させて、最終的にライバルを圧倒することになった。 が、真の伏兵は、カワサキだった。 カワサキはKR250(1984年)、そして「KR-1」(1988年)と2ストのレーサーレプリカを発売したものの、売り上げは芳しくなかった。 ところが1989年、カワサキが発売した4スト400cc4気筒の「ゼファー」が、「レーサーレプリカキラー」となる。 ゼファーは特に性能が高いわけでも過激なスタイルでもないごく普通のバイクだった。ただ、ゆったりとしていて、乗りやすかった。「これからバイクに乗るぞ」と構えなくても乗れる親しみやすさを備えていた。 レーサーレプリカは過剰な性能競争の結果、誰もが構えずに気軽に乗れるものではなくなっていたのだった。その隙を突いたゼファーは大ヒット作となった。後に「ゼファーショック」といわれたほどの勢いで、ゼファーはレーサーレプリカの売り上げを侵食し、数年で市場を完全に塗り替えてしまった。 かくして、2ストエンジンのレーサーレプリカの時代は終わった。最後まで頑張ったスズキも、1996年の「RGVガンマ250SP」で2ストレーサーレプリカの開発を終了した。 そして、厳しくなる一方の排ガス規制によって、1999年に国内メーカーの国内市場向け公道走行可の2ストバイクは販売を終了してしまったのだ。 ●「やるだけやったぜ」という夢の時代 今から思えば夢のようだった2ストレーサーレプリカの時代。繰り返すが当時の私は、白い煙を吹き出す2ストエンジンがあまり好きではなかった。友人が乗るヤマハRZ250とか、後継車種のRZR250を借りて乗ったことはあったが、特に「これ欲しい!」とも思わなかった。 が、30年以上を経て、60歳を過ぎてホンダNSR250R(MC21)に乗ると、確かにこれはあの時代の精華だという感を深く持つ。あの時代のホンダが、全力を尽くして造った素晴らしい製品だと思う。 新しい、古いではない。今現在最高のバイクかということも関係ない。1990年の時点で、MC21に込められた「俺たち、全力でやったぜ」感が、私を感動させる。そして、そこに使われている2ストいう技術が、もはや「終わった技術」であることに、またなんともしみじみとした感慨を抱く。 レーサーレプリカ末期の2ストは、2スト特有の気持ちの良い吹き上がりはそのままに、あきれるほど高度に進化していた。でも、もうこの技術は使えないのだ。行き止まりなのだ。 人間、なくなると欲しくなるもので、今、中古車市場で2ストレーサーレプリカはとんでもない高値となっている。かつてはそれこそ日本酒一升瓶数本と交換の対象であったRZやらTZRやらNSRやらが、中古バイク店の店頭では3桁万円の値を付けている。 「どうする?」と、熱に当てられたもう一人の自分が問いかけてくる。「モトラに加えてもう1台、なんとかして2ストレーサーレプリカを手に入れるか?」 ……「がっつくなよ」と、自分で自分に答える。34年を経てMC21に乗れたのだ。今はこの幸運に感謝しよう。幸せをかみしめよう。
松浦 晋也