「あいさつができない子」は損をする…小学校教員が指摘「大人が気づいていない"ヤバイ"を連発する弊害」
あいさつができない子供はどうなるのか。早稲田大学系属早稲田実業学校初等部教諭の岸圭介さんは「相手がどう感じるかより、自己中心的に物事をとらえることを優先してしまう。言葉遣いも乱暴になり、友人関係にも悪影響を及ぼすだろう」という――。(第2回) 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、岸圭介『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。 ■すべての人間関係は「あいさつ」からはじまる 子どもの成長を一つの軸として、「あいさつ」ということばの意味と価値を考えてみてください。もはや欠かすことのできないものという感覚も理解できるかと思います。なぜなら、あいさつは「すべての関わりのはじまり」だからです。 子どもは多様な関係の中で学んでいきます。だから、あいさつは「特定の誰か」だけではなく、むしろ「まだ知らない誰か」にしてこそ可能性が広がるのです。 もちろん、安全面の理由から、通りがかりの知らない人にまで声をかけるのはむずかしい時代です。大人が子どもを守りながら環境をつくる必要はあります。 誰とでもやりとりができる子は、人から学ぶことの価値を知らず知らずのうちに学んでいます。 こういう子は顔をつきあわせてうなずいたり、うれしそうに相槌(あいづち)をうったりと共感的に相手に近寄ろうとする姿勢が感じられるのです。相手が薦めてきたことに、おもしろがって挑戦してみることで世界を広げていきます。 もちろん内向的な性格だったり、話し下手だったりして、人と接することを不得意としている子もいます。いつもお母さんの後ろに隠れているような子も想像してみてください。子どもらしいといえば、子どもらしい光景です。 人とのやりとりを躊躇(ちゅうちょ)してしまう子に対して、「うちの子は恥ずかしがりやだから」という昔からの決まり文句があります。 たしかに、人との関わりが苦手なことは事実としてあることでしょう。しかし、それを理由に他者との接触を親がさまたげるようなことがあれば、それは子どもの成長を放棄しているのと同じです。 ■あいさつをしないことによる損失 中・高生世代であれば、自分から率先してあいさつをするのに恥ずかしさを感じることもあると思います。 胸の内では相手の存在を気にしながらも、思わず素通りをしてしまうこともあるかもしれません。友達の手前、余計に行動しづらいこともありますよね。 でも、まだ見ぬ一人ひとりが自分の将来に関わっているかもしれないかと思うと、人と関わらないことは損失にも思えてくるはずです。上手にあいさつができる子は、チャンスをつかめる子でもあることを忘れてはいけません。 小さな子どもには「あいさつ」を「成長へのきっかけ」という観点から教えるべきです。人と関わることが、かけがえのない出来事にも感じられてくるのではないでしょうか。 あいさつの価値の大きさは、大人であっても変わりません。 たった一回の「こんにちは」で生まれた接点が新しい仕事につながったり、運命を左右する出会いであったりすることもあります。場合によっては、人生をともにする伴侶を見つけるきっかけにもなるはずです。 つまり、「こんにちは」というあいさつの価値は、その人自身がつくるとも言えるのです。出会いという観点から見ると、あいさつにはまだ可能性があります。 世間は狭いとよく言われますが、すべての人や物とのつながりは、平均で六人の人を介してなされるという説があります。「六次の隔たり(Six Degrees of Separation)」と呼ばれるものです。 皆さんの中にも聞いたことがある方がいるかもしれません。