「あいさつができない子」は損をする…小学校教員が指摘「大人が気づいていない"ヤバイ"を連発する弊害」
■新たな交流が人生を大きく好転させる 今は身近に感じられなくても、出会いたい人は案外近くにいるということになります。SNSが発達した昨今では、平均六人より少ない人数でも出会えることが指摘されているようです。 信頼する友人を通じて、誰かを紹介してもらうような経験がある人もいるでしょう。たった一人との出会いが、次の出会いにつながっている。 新たな交流によって、自分の人生が大きく好転していくことが事実としてあります。 仮に「あいさつ」をきっかけに人生が変わった経験をした大人がいれば、その人にとっての「あいさつ」は「運命を変えるかけがえのないもの」となります。 決して、ただの儀礼的なやりとりとは考えないはずです。 本稿の第1回で「あいさつ不要論」の例を紹介しました。あいさつを「話したくもない人に向けた形ばかりの苦痛なもの」と考えている人とは、まったく違う捉えになるかと思います。同じことばであっても、学んできた背景によって、見える景色は異なります。 価値観は人それぞれです。どちらがいいという判断を簡単に下すことはできません。 ただ一つ言えるのは、ことばの意味や価値を増やしていくことは、ことばを通して物事を多面的に見ることにつながると思うのです。こうした見方ができる人のことを「大人」と呼ぶのだと考えています。 ■あいさつ習慣のない子供はどうなるのか あいさつをする習慣が築かれている子は、相手意識が育まれている子ともいえます。 相手意識は本書の第2章で確認した「聞くこと」の土台でもありましたね。人とつながって世界を広げたいという想(おも)いは、声や表情などの仕草にはっきりと表れます。 あなたにとってあいさつが印象に残る子がいたとしたら、その子はもう自分の力で未来を切り拓いている証拠です。進んで頭を下げたり、声をかけたりするのは、人への関心がなければむずかしいこともあります。 だからこそ、人と通じ合うことに喜びを感じた経験があるかどうかは、子どもの成長に大切だといえるでしょう。 反対に、あいさつの習慣がない子は、相手意識が希薄な場合が多いものです。相手がどう感じるかを考えるよりも、自己中心的に物事をとらえることを優先してしまいます。 こうした子は、ことばを上手に使うことにも慣れていません。だから当然、ことばづかいにも課題が見られます。 「やばい」、「きもい」、「うざい」、「えぐい」、「だるい」――どんな会話であっても、たいていこれらのことばで済ませてしまうことが日常の習慣になっている子もいます。 中・高生であれば一度は使ったことがあるでしょうか。もはや違和感なく使っていることもあるかもしれません。一方で、子どもの成長という側面から考えたときに、乱暴なことばづかいはマイナスに働きます。