「あいさつができない子」は損をする…小学校教員が指摘「大人が気づいていない"ヤバイ"を連発する弊害」
■言葉遣いが友人関係に大きく影響する もちろん、「品がない」、「イメージが悪い」といった印象の問題もあるかもしれません。しかし、他者からの心証がよくないということ以外に、別の懸念事項が生じてきます。 それは「友人関係」の問題です。人と人との関係は、ことばの意味と価値を同質のものとして扱う者同士の方がうまくいくものです。 先ほど例に挙げた「あいさつは話したくもない人に向けた形ばかりの苦痛なもの」という価値観であれば、これに共感できる者同士の方がコミュニティを形成しやすいでしょう。 土台となるものごとの見方や考え方が合うのですから。だから、ことばづかいが汚い人との時間が長くなれば、思考や行動パターンも自然と似てきます。 仏教の教えの中に「悪友を避けて善友を求めよ」というものがあります。近しい間柄になれば、人は必ず影響を受けるものです。だから、付き合う人を考えなさいということですね。 逆も然りで、自分自身が人に与えている影響も当然あります。あなたに近寄ってくる人は、あなたのことばづかいやふるまいを見ながら判断をしていることになります。 ことばづかいは人間関係づくりに大きく関係をしてくることがわかるかと思います。つまり、ことばを発することは「自分のことばづかいを好ましいと感じる人との接点をつくること」を意味しているのです。 ■思考を貧しくする ことばづかいの問題は、それだけにとどまりません。話すことばに意識が及ばなくなると、ことばを発するときの思考プロセスにも問題が生じます。 本来、コミュニケーションは、ことばのつかい方に細かい配慮が求められます。 同じ内容のやりとりであっても、異なるAさんとBさんとでは発することばは、一律にはならないはずです。それは性格や人柄の違いかもしれないですし、体調や精神状況の差かもしれません。 絶好調の人と落ち込んでいる人、社交的な人と内気な人とでは、かけることばも内容も変わりますよね。相手の様子と場の雰囲気を感じとりながら、適切に使うべきことばを吟味することでしょう。 相手の立場や身分、置かれた状況をふまえるというのは、「よりふさわしいことば」を自分なりに判断して使うということです。 その場に応じて「今の状況はこのことばを使うべき」、「この人だったら、こう言おう」と常に考えながら話すことになります。