「新新冷戦」の時代が来る? 中国とインド、二大人口大国の衝突を考える
衝突はあるが激突にはなりにくい
やや図式的になるが、中国とインドの衝突の性格を、これまでの東西文化の衝突と比べてみよう。 日本とアメリカの衝突は、日本は東洋とはいえ西欧文明化していて、帝国主義的な戦いであった。しかし日本には東洋的精神主義が残っていたので、精神(文化)と物力(文明)の戦いという側面もあった。 アメリカと中国の衝突は、西欧の先端としての帝国的な力と、東洋の歴史的中心としての帝国的な力との戦いである。今の中国に日本のような精神性は見られず、物力(文明)どうしの戦いとなっている。 中国とインドの衝突は、中国は小さな文化圏の中心文明であるが、インドはこれまで述べたように大きな文化圏のさまざまな文明の集約であり、歴史的な文化の違いを基本にした戦いとなると思われる。 西洋には、16世紀以来の植民地主義的侵略戦の型がある。それは常に文明の優位を背景にした非対称なもので、スペインも、イギリスも、アメリカも、その時代の文明と戦争の覇者であった。かつての日本の戦争も、この「西洋文明型侵略戦」を踏襲していた。 中国の戦争は、歴史的に内戦型であり、周辺異民族の侵略に対する防御力とその延長としての拡大力を基本とした「防御拡大戦」であった。「中の国」をその周囲の異民族の侵略から守るためにも内側からの膨張力が必要だったのだ。一種の中華思想である。 インドの戦争は、これまで述べてきたように、大きな文化圏の覇者の侵略に対する「防御抵抗戦」である。あまりに強い敵に対して防御しきれない場合には抵抗戦とならざるをえないのだ。ガンジーの非暴力もこの抵抗精神の現れであろう。 こういったことを総合して考えると、中国とインドの衝突が、いきなり激突となることは考えにくい。ここしばらくは衝突があっても局地的な「小衝突」にとどまっているのではないか。アメリカとイスラム原理主義のような激しいゲリラ戦テロ戦となることも考えにくい。しかしその小衝突が非常に長期化し、文化的なものとなって、他国に波及する可能性を否定できないところが新新冷戦の特徴だろうか。そこでも日本は「西か東か」という立ち位置の選択を迫られることになる。 またアメリカと中国の衝突は、エスカレートする可能性もあるが、かつての日本とアメリカのような激突総力戦になるのではなく、ある程度限定的な「小衝突」から「中衝突」になるような気がする。そして当然ながら、アメリカと中国のあいだでも、中国とインドのあいだでも、サイバー戦が主となることは十分予想される。 もちろんそれぞれの国家の過去の戦争様態が未来の戦争様態を規定するとはいいきれないが、ここでいいたいことは、一口に戦争といってもさまざまな型があり、それはその国の風土と歴史に根ざした文化からくるものだ、ということである。 こういった状況の中で日本は、歴史的なロングスパンの視野と、世界文化地理的なワイドスコープの視野を重ねた、超戦略(通常の戦略範囲を超える大きな戦略)ともいうべきものが必要なのだが、どうもこの島国はそれが苦手なような気がする。少なくとも現在の、ニコニコとアメリカに追従するだけの裏金政治家たちには期待できない。