「新新冷戦」の時代が来る? 中国とインド、二大人口大国の衝突を考える
インドは受動態の国
インドの歴史は世界的なスケール(大きな文化圏)の覇者の侵略を受け、その覇者の文化を受け入れる受動態の歴史であった。 古代には、アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世に攻め込まれ、インドにペルシャ文化が入りこむ。次にマケドニア(ギリシャ)のアレクサンドロス3世(いわゆるアレクサンダー大王)に攻め込まれ、インドにギリシャ文化が入りこむ。これはヘレニズム(ギリシャ文化の東進)と呼ばれ、ガンダーラにギリシャ彫像文化の影響を受けた仏像文化が誕生し、その影響はシルクロードをとおって日本にまで到達する。古代日本の仏教文化にペルシャとギリシャの影響が見られるのは、仏教の淵源としてのインドが、そういった西からの文化を受け入れてきたことにもよる。 中世には、チンギス・ハーンとティムールの血を受ける遊牧民の侵略を受け、ムガル帝国が成立し、3代目のアクバル帝時代に盛期となってイスラム文化が入りこむ。ちなみに「ムガル」とはモンゴルの意味である。侵略者は西の大帝国から北の遊牧民となった。 しかし大航海時代になると、南の海からポルトガルの侵略を受ける。そして東洋の海の覇権がポルトガルからイギリスに移ることによって、インドはイギリスに支配され、19世紀には完全に英国領となる。このようにインドの歴史は異民族からの侵略を受ける歴史であると同時にその外来文明がインド文化として定着する歴史でもある。ヒンドゥー教が主流となった現在でも、インドの観光地の多くは、タージマハールなどムガル帝国時代のイスラム様式の建築が多い。 中国もまた、北方の遊牧民であるモンゴル(元)や女真族(金、清)の侵略を受け、その王朝が成立するが、文化的には漢字を中心とする漢文化に同化するのが常で、インドとは性格を異にする。インドには世界のメジャーな文化が入り込んでいるが、逆に中国は、侵略を受けながらも漢文化を守り広げるかたちだ。 こういったインドの文化受動性は、日本にもつうじるが、スケールが異なる。日本は島国として、海外の先進的な文化を受け入れるのであるが、インドはユーラシア大陸の中心部(南ではあるが)として、西から北から南から、その時代の圧倒的に強い文化が入りこむのである。