戦時下の歌謡曲に込められた母の悲願とは。「軍国の母」は勇ましい歌詞の裏で、レクイエムのような悲しい旋律
◆九段の母 昭和14年(1939)4月には、キングからテイチクに移籍した塩まさるの「九段の母」(作詞:石松秋二、作曲:能代八郎)という名作が生まれた。 東北地方から出征した農家の母親であろうか。上野駅まで上京するも九段坂までの行き方がわからず、杖をつきながら1日かけてようやく靖国神社へと到着する。 名誉の戦死を遂げて、靖国神社に祀られた息子に、戦場で武勲を挙げたものに与えられる金鵄勲章を見せるためだ。 そして母は涙を見せず、神と祀られたことに感激している。 これを聴いた遺家族の母たちが、「九段の母」と同じ気持ちであったかはわからない。 しかし、「九段の母」と同じように息子や夫が靖国神社に祀られる家庭は増えていった。 そうした現実があるからこそ、「九段の母」は大衆に共感されたのである。
◆戦友の母 このヒットに続いて昭和15年(1940)3月には、塩まさる「戦友の母」(作詞:石松秋二、作曲:佐渡暁夫)が発売された。 北国で息子の帰りを待つ母親に、戦友の死を伝えに行った場面を歌にした。 囲炉裏ばたで戦友が殊勲を挙げた最期の姿を話すと、母は暗い仏間で合掌しながらうなだれる。 それを見た報告者は、母の横顔が戦友に生き写しだと感じた。 名誉の戦死を聞いた母は消沈している。これが本当の姿であったのではないか。 ※本稿は、『昭和歌謡史-古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
刑部芳則