ホモ・サピエンス起源の謎―母なる大地アフリカをいつ、なぜ出て行ったのか?
アフリカ脱出の経由(ルート)
この約27万年前と11.5万年~13万年前という推定年代を知ることは、出アフリカの「ルート(経由)」について探る、貴重な情報源ともなる。 いくつかアイデアが出されている。 具体的なルートに関するアイデア(=仮説)として、こちらの地図(Bae等2017による)をのぞいてみていただきたい。大まかに「北ルート」と「南ルート」という二つのルートが最近の研究によって提案されている。 最初(約27万年前ごろ)に起きたであろう「北ルート」は、アフリカ北東部から紅海と地中海東部をまたいでイスラエルなど中東、そしてヨーロッパの一部まで放散した。現在のオランダあたりにまで移動を行っていたと考えられる証拠も出されている。 二回目の大きな移動と考えられる「南ルート」(約13.5万年前)は、複数回起きた出アフリカの流れの中で最も大きなものとされる。これは太平洋岸沿いに南アジアからオーストラリアを含むオセアニア諸島一帯と、かなり広範囲に起きた可能性が高い。 こうしたホモ・サピエンスの放散パターンを知ることは、初期人類の詳細な進化を探るために非常に重要だろう。 例えばホモ・サピエンスにとって新天地であった「ユーラシア大陸」において、その適応放散はどのようにすすんだのだろうか? 多数の証拠はかなり短期間のうちに広地域に起こったことを示している。 その際、鍵となったのは何だったのだろうか? もしかすると発達した石器や火の使用など、その当時の最先端のテクノロジーが、我々の先祖の初期進化に大きく役立ったのかもしれない。こうした研究は、あえて断るまでもなく盛んに行われており、他にもさまざまな仮説が出されている。ただ、より最新のホモ・サピエンスの放散パターンのデータと照らし合わせてみることが肝心だろう。 そして、より興味深い研究テーマとしてホモ・サピエンスと他の種や亜種が、具体的にどの地域で「共存していたのか」という点がある。こうした別の集団と「遺伝子的な交配」が行われていた可能性はなかっただろうか? 例えばネアンデルタール人と初期ホモ・サピエンスの遺伝子データは、この仮説を支持している(Greene等2010)。そのため化石記録によるホモ・サピエンスの放散パターンを検証し絶えずアップデート(更新)していく作業はとても大事だろう。 この点においても、前回取り上げたイスラエルにおける新発見(Hershkovitz等2018)は非常に重要といえる。