ホモ・サピエンス起源の謎―母なる大地アフリカをいつ、なぜ出て行ったのか?
出アフリカからのメッセージとは?
さて初期人類の進化史における「出アフリカ」から受け取れるメッセージとは何だろうか? これを機に「夏休みアフリカ旅行」でも計画して「人類の太古のロマンにひたってみては?」などと、野暮なことは言わないでおく。こうした感情に由来するイメージは、個々の人それぞれに異なる受け取り方があって当然だろう。 しかし、あえて古人類学などを専門としない私(=古爬虫類研究が専門)が受け取る、初期人類の辿った進化史からのメッセージの一つを言うなら、「よく、これだけ綱渡り的な道を来たものだ」という感慨にも似た気持ちだ。 先ず、先に紹介した大旱魃(かんばつ)が深刻すぎたら、全てのホモ・サピエンスの個体がアフリカの地において「絶滅」していたかもしれない。 そして、何とかイスラエル辺りから南ヨーロッパや西アジアなどへ移動してきても、こうした地域にはすでに先住者(または競争相手)がいたはずた。 例えば、約20万年から40万年前の間、地質年代的にはホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルタール(ネアンデルタール人)が、すでにユーラシア大陸各地に存在していた。このネアンデルタール人の絶滅亜種の可能性が高いデニソワ人(Denisovans)も、ロシア中部からモンゴル国境沿い周辺に住んでいた(Stringer 2016参照)。 ―Stringer, C. (2016). "The origin and evolution of Homo sapiens." Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences 371(1698). 同時代にホモ属の他の絶滅種として、南アフリカのホモ・ナレディ(Homo naledi)やインドネシアのホモ・フローレシエンシス(Homo floresiensis:フローレス人)が存在していた。進化系統上の位置がはっきり分かっていないホモ・ヘルメイ(Homo helmei)等も知られている。 新参者であったホモ・サピエンスは出アフリカ直後、かなり過酷な生存競争を勝ち抜く必要があったのではなかっただろうか? そして、どうしてこうした近縁の種や亜種が絶滅したのだろうか? どうして、ホモ・サピエンス一種だけが現在までこうして生きながらえているのだろうか? このようなテーマに関する研究はかなり行われており、さまざまな仮説も研究者により提案されているようだ。また折を見ていくつか紹介してみたい。しかし、今回のイスラエルにおいてなされた発見を機に、ホモ・サピエンスの辿ったこのような長大なストーリーに思いをはせてみるのも悪くはないだろう。 我々ホモ・サピエンスとは何者なのか? 我々はどこからきたのか? まだまだたくさんの謎が残されていることにも気づく。さて、2018年にはどのような新しい研究がなされるのか。今から楽しみだ。