伊那谷楽園紀行(16)一度きりだったはずのばんざーい!
ルートをショートカットするにしても、少しは苦労した風を装って参加してみたい。そう思って、前日の早朝、私はまだ夜が明ける前から、自転車に乗って東京駅へと向かった。自分の自転車は、10年ほど前に購入したパナソニックのデモンタブル。デモンタブルというのは分解を容易くできるように設計された、輪行に適した自転車である。それでも、分解するのは一苦労だ。ペダルを外し、ハンドルを外し、ブレーキとギアのワイヤーを外す。それから、専用の袋へと詰めていく。コンパクトに収まったように見えても、重さは変わらない。15キロくらいはある自転車と荷物を抱えて、ホームの階段を昇る頃には、既に一仕事を終えた気分になっていた。 朝一番の5時46分沼津行き各駅停車。そんな早い時間の電車に乗るのも、めったにない経験だった。ほとんど乗客もいないままに出発した東海道線は、次第にラッシュの時間を迎えた。沼津から乗り換えると、列車は満員だった。大きな荷物を抱えて、申し訳なさそうな顔をして立つこと数時間。浜松を越えると、ようやく人の波は引いた。 飯田線のはじまりは豊橋駅から。『究極超人あ~る』では、光画部の面々は最終電車で豊橋に着き、駅前の広場で野宿して始発を待つ。そこに描かれた駅の風景は、既に過去のものになっていた。 広場は、ペデストリアンデッキの立派なものになっていた。夜の人通りの少ない時間になっても、遠慮がちに寝袋にくるまって夜を明かすことができるような、風景はもうないように見えた。荷物を抱えて、あちこちをウロウロとすることもできず、飯田線のホームに腰を下ろして、自分の乗る電車が来るのを待つことにした。 時刻は正午前。まだ、自分が乗るべき電車が来るまではたっぷりと時間があった。飯田線の電車の本数は、決して少ないわけではない。1時間に3本も4本もの電車がホームに出たり入ったりをする。けれども、それはほとんどみんな、豊川駅や本長篠駅など、1時間もかからないところを終点とするものばかり。はるか伊那市にたどり着く電車は、1日に何本もないのだった。 電車を待って、長い時間ホームに佇むのは、なかなかできない経験だと思った。駅を利用する人は、大抵が仕事だったりとか、なにか用事があるものである。だから、電車を降りると、足早にホームの階段を駆け上っていく。でも、自分の旅は決して急ぎではない。だから、こんなこともできる。大抵の人は、学生の頃にそんな旅を終えてしまうだろう。あるいは、人生の後半戦に入ってからだ。 「青春18きっぷ」は、もともとは、切符の名前のように、財布にお金はないけれども、暇だけはたくさんある若者が使うことを想定したものだと思う。それが、中高年が愛用するものになっていることを、メディアは度々報じていた。でも、その数は決して多いとはいえない。誰かと遠出をする時に「青春18きっぷ」を使う。あるいは、少なくなってしまったが船旅を提案すると、大抵は不審な顔をされるものだ。そして、こういわれるのだ。 「時間は、金で買う物だよ」 もちろん、そのことは否定しない。でも、無駄な時間を過ごすことで、普段は見えないものがふと視界に入り込んでくるのだ。夏の盛りを迎えて、太陽は肌を焼いていたが、ホームを撫でる風は優しく旅情を誘っていた。 ようやく、自分が乗る電車がやってきたのは午後2時前のことだった。時刻表を見ると、伊那市駅に到着するのは午後7時を回った頃。5時間あまりの旅をどうやって過ごそうか。まばらに埋まっている座席に腰掛けて、窓を眺めていると、電車は動き出した。