多くの日本人が「会話に自信がない」と感じてしまう本当のワケ。実は“コミュ障”の人なんていない!?
“コミュ障”という言葉が一般的になるなど、現代日本では自分のコミュニケーション能力に自信がない人が増えてきているように感じます。 でも実は、「話すのが苦手」なのは、決して個々人の“性格のせい”ではないのだそう。 「グループでいつもポツン…」を卒業! “孤立”しないためのコミュニケーション術を専門家が解説 多くの人が抱く「コミュニケーションの苦手意識」は、生まれつきのものではなく、後天的に身についたものなのです。 そこで今回は齋藤孝先生の著書『「考えすぎて言葉が出ない」がなくなる』(サンマーク出版)の“コミュニケーションで大事なこと”というトピックスをご紹介。 長年「コミュニケーションの講義」を行なっている著者が、「『話が苦手』は性格の問題ではない」と考える理由について解説します。
「話が苦手」は性格の問題ではありません
今の社会では、スピード感が重視されます。 テレビのバラエティやニュースを見ても、政治家や著名人、コメンテーターなどは、限られた時間でコメントを求められ、テンポよく応えることが求められます。 一般の視聴者が出る番組でも、みなさん、実に気の利いたコメントをしていますよね。 会話ではないのですが、自動改札機を通るとき、前の人がチャージ金額が足りずに、「ビーッ」とランプがついて止まると、もうそれだけでイラッとしてしまうこともあります。それほどまでに、私たちはスピード感を求めているのです。 昭和の時代に生きていた人たちが急に今の社会に放り込まれたら、「このテンポの速さは何なの?」「人前でこんなに話さなきゃいけないの?」「こんなにたくさんの人とメールのやりとりをするの?」と、戸惑うのではないかと思います。 そんなふうに私たちは、なぜか常に焦っているし、空白ができることを恐れています。だから、会話でもぎこちない時間が生まれると、居心地が悪くなり、コミュニケーションが苦手だと感じてしまうのです。
「コミュニケーションが苦手」な人は実はいない
しかし、本当は「コミュニケーションが苦手」「話すのが苦手」という人はいないのだと私は考えています。 私は長年、教員になる人のために「コミュニケーションの講義」を行なっていますが、人前で話すのが苦手だったり、二人きりで話すのが苦手だと言っていた学生でも、私の授業を受けたあとは、そろって「苦手だと思っていたけれど、やってみると意外とそうでもなかった」という感想を伝えてくれます。 それを見て私は、苦手意識を持っていたのは、単に今までそういう練習や訓練を受けていなかったからではないかな、と思うのです。 たとえば、ある楽器を初めて演奏したり、何かスポーツを新たにはじめたりするときには、「苦手だな、不安だな」という気持ちよりも、「今までやったことがないけれど、どういうものだろう」という興味や期待の気持ちのほうが大きいのではないかと思います。 そして、最初は下手でも、さほど気にしないはずです。「今はあまりできないけれど、練習するうちにうまくなるはず」と、自分の状況を自然に受け止められます。 ところが、コミュニケーションや会話だと、「自分は苦手だ、できない」という意識からスタートしてしまう。すでにはじまりの時点から、苦手意識が貼りついてしまっています。 しかし、悩む必要はありません。 コミュニケーションも楽器やスポーツと同じで、やり方を知って、練習すればうまくなるのです。 そんなに気負わずに、おおらかに考えておけばよいと思います。