なぜバース氏と山本昌氏は殿堂入りできなかったのか?
山本昌氏は50歳を超えてもプレーしてNPBの史上最年長登板記録、最年長勝利記録などを持っており、しかも、通算219勝で殿堂入りの暗黙のガイドラインのひとつとされる名球会入りもクリアしている。過去に新候補となった初年度に選ばれた野茂英雄氏や松井秀喜氏、連続フルイニング出場の世界記録を持ち、通算2500本安打も達成している元阪神の金本知憲氏らと同様に、山本昌氏も選出の可能性が高かったのだが、“中年の星”と騒がれた左腕も30人に増えた候補者の数の壁の犠牲者となったのである。 そしてエキスパート部門でも、同じようなことが起きた。昨年、89票(65.9%)で13票足りずに次点に泣いたランディ・バース氏が、今回もトップ票を集めたが6票増えただけでの95票(70.9%)に留まり、当選ラインに6票足りなかった。 エキスパート部門も、候補者数が昨年の16人から20人に拡大された。新候補、あるいは復活候補となった5人が、有藤通世氏、大島康徳氏、ブーマー・ウェルズ氏、藤田平氏、谷沢健一氏。復活したブーマー氏が7位の30票(22.4%)、大島氏が8位の29票(21.6%)、矢沢氏が9位の26票(19.4%)と、票を集めたため、バース氏の増加されると予想された分がもっていかれたのだろう。 バース氏については、なぜ選ばれないのか、という議論があった。阪神でのプレーは6年で、通算記録では、743安打、202本塁打、486打点と他の殿堂入り者に比べて見劣りするが、1985年、1986年と2年連続で3冠王を獲得。1986年の打率.389は、イチローも届かぬ日本最高打率である。王貞治氏の記録に並ぶ7試合連続本塁打を放ち、阪神ファンの間では「神様、仏様、バース様」と呼ばれた。間違いなく球史に刻まれる“最強助っ人“の一人だろう。 バース氏は、2004年にプレーヤー表彰で202票を得たが、当選ラインに届かず一度資格を失い、2013年からエキスパート表彰の候補者として復活。ここまで着実に票を伸ばし、2018年、2019年は3位で昨年は次点だった。 野球殿堂には外国人選手の壁がある。過去に殿堂入りした外国人選手は、1960年選出の元巨人のヴィクトル・スタルヒン氏、1994年選出の元中日などで活躍した与那嶺要氏の2人。ただ、プロ野球初の300勝投手となったスタルヒン氏は、小学校から日本の学校に通っていたし、“ウォーリー”の愛称で親しまれた与那嶺氏は日系2世で、事実上、外国人選手と言える候補者はまだ誰一人として殿堂入りを果たせていない。選ばれてもおかしくない最強助っ人は2人いた。