「もしも私があなただったら」をエンタメで体感させたい――なぜ、新海誠監督は東日本大震災を描いたのか #知り続ける
「ただ、『きっと日本ってこの先こうなるよね』という気分はずっと自分の中にあります。おそらく僕らが住んでいる東京も、遠からぬ未来に大きな災害に見舞われますよね。それはきっと地震である可能性が高く、僕はその時その場にいると思いますが、それはとても恐ろしいことです。『天気の子』という東京が失われる物語は、そういう気持ちのもとで描きました。『きっと災害は起きるけど、そこから逃げられるわけはないよね』と。僕個人のそういった慄きのようなものが、作品ににじみ出てしまっているというのはあるかもしれません」 ―― 故郷を喪失することに対する共感は、監督が生まれ育った長野県の南佐久地方への思いが関係していますか。 「僕の田舎も過疎化が進んでいるので、その事実への悲しみのような気持ちは作品に影響しているかもしれませんが、住んでいた町から僕が受け取った大きなものの一つは、空の風景です。八ケ岳が近くにあるので、気流が複雑なんですね。風もとても強いから、空を見ていると、雲の形も空の色合いもどんどん変わっていくんです。特に夕空はすさまじくて、まだファミコンもなかった少年時代は、僕にとって空自体がエンタメみたいなものだったんです。あの時見た空の移り変わりは、自分が映像を作る上での大きな財産になっています」 「その町の風景がとても好きでした。川や山の匂い、自然の持つ圧倒的なスケール感。人間にはない大きな力があるんだという畏怖のような感覚を常に感じていました。だからこそ、自分には手が届かない巨大な力の秘密に触れてみたいということは、いつも思っていた気がします」
「エンターテインメントは世界平和のようなものに少しだけ貢献することができる」
―― 日本という国の成り立ちの神話や古くからの信仰を装置として使うことによって、ナショナリズムに閉じてしまっているのではないかという批判もあります。311という題材も、海外の観客に背景が伝わらない懸念もあるかもしれませんが、その点についてはいかがでしょうか。 「僕は『すずめの戸締まり』というこの映画を、まずは地震大国である日本の観客に観てほしいと思って作りました。日本神話や民間伝承の要素も、多くの日本人にとって入り込みやすい題材として物語に取り入れています。なので、海外の観客や反応を想定して作ったものではありませんでした」 「ただ、地震が起きない国に住んでいる観客が観たとしても、映画の中で起きている出来事は理解してもらえると思います。鈴芽が311という数字にショックを受けるのを見て、日本では3月11日に何か巨大な出来事があったんだろうなということには思い至るでしょうし、そうでなかったとしても、災害によって大切な誰かを失ってしまったとか、大切な場所が廃墟になってしまったという出来事自体は、現在進行形で世界中で起きていることです。そういう意味では、海外の観客にも物語に共感してもらえるのではないかと思います。この映画は、観客に少し力が湧いたとか、観てよかったと思ってもらえたらと願って作ったので、海外のお客さんにも、観終わった時に同じような気持ちになってもらえたらいいなと思います」