「もしも私があなただったら」をエンタメで体感させたい――なぜ、新海誠監督は東日本大震災を描いたのか #知り続ける
「ただ、実際の震災孤児の方に『すずめの戸締まり』のような映画は求めていないと言われれば、自分の力不足だとしか言えません。一方で、すべての人の欲求に応えるようなエンタメはそもそも成立不能だとも思っています。僕は『すずめの戸締まり』のような語り方で震災を扱いたい、今はそのタイミングだと体感的に思った、ということだと思います」 ―― 震災から10年余り。震災を知らない子どもたちが増えている一方で、傷が癒えていない方もいると思います。 「震災を描くにはまだ早すぎる、という意見を目にすることもあります。そうなのかもしれませんが、でも、ではいつだったらいいんだ、とも思います。50年後なら、100年後ならいいのか。それを待っていたら、作品の帯びる力はぐっと減ってしまう気がするんです。昔話のような伝承も重要ですが、僕たちは大きな産業としてエンターテインメントを作る社会に属しているわけですから、昔話とは違うスピード感と規模で、実際の出来事を物語に変換して紡いでいくことが大事な気がしています」
死者との関わりをテーマに物語を作り始めたのは震災より前だった
新海監督は、亡くなった人を生き返らせたい、大事な人を取り戻したいという死に向き合ったモチーフを、2011年5月公開の『星を追う子ども』ですでに描いている。死者と生者の関係や、喪失感にさいなまれながらそれでも生きる意思を固めるというテーマは、どのように生まれてきたのだろうか。 ―― 『星を追う子ども』を作ったのは震災の前ですよね。その前の『秒速5センチメートル』と比べると作品のテーマががらりと変わり、黄泉の国を思わせる地下世界を舞台に、死者との関わりを描いています。そのようなテーマを選んだきっかけはありますか。 「『星を追う子ども』は『秒速5センチメートル』から大きくトーンが変わったとよく言われますが、自分自身としては、変わったというより、まだ固まっていない時期だったのだという感覚があります。ある意味、映画作りにおける思春期のような、揺れ動く時期だったのだと思います」 「個人制作からスタートした自分が『秒速』を作れたことで、次は体系的にアニメーションを作ることができるんじゃないかと思ったんです。その際、自分がずっと気になっていることをテーマにしようと思いました。そして、人は死んだらどうなるのだろうとか、自分はいつか死ぬのだろうかとか、人が生まれるってどういうことなんだろうということが素朴な疑問として子ども時代から考えていたことだったので、『星を追う子ども』で描くテーマにしました」 ―― 監督の作品の中では、地震は起きるし、気候変動で東京が豪雨に遭うし、地方は衰退しています。それを見て感じるのは、作品を通じて、未来の現実に備えるための心構えを、観客の内側に築こうとされているのではないか、ということです。 「そういったことはメインの目的にはしていません。僕にとって一番大事なことは、お客さんに楽しんでもらうことなんです。お金を払って映画を観てくれたお客さんに『映画代を損したな』と思わせないことや、次の作品を作った時にも映画館に行きたいと思ってもらえること、それを一番の目標にしています」