「もしも私があなただったら」をエンタメで体感させたい――なぜ、新海誠監督は東日本大震災を描いたのか #知り続ける
「けれども、『すずめの戸締まり』を観て、なんてものを作ったんだ、憎くて仕方がない、311をエンタメ映画の中で扱うなんて許せない、という方だって当然いらっしゃるはずで。そういう方は舞台挨拶のような場所には来ないはずなので、東北の方々がどう思っているかを本当に知れたとは思えていないです」 ―― 批判されるリスクをとってまで、なぜこの作品を作ろうと思われたのですか。 「誤解を恐れずに言ってしまえば、どうしてもやりたかったという気持ちが強いです。描きたかったのは、『もしも自分があなただったら』という想像力。それを考えるきっかけになったのが、僕にとっては東日本大震災でした」 「ジブリ作品や、今で言えば週刊少年ジャンプ原作の作品のような、誰もが観に行くメジャーな規模で公開される作品で、エンターテインメントの中心に震災を据えたものは、なかなか出てきていないと思います。良くも悪くも、僕の映画の製作チームが『君の名は。』からの数年で手に入れたものは、同じように、“新海誠の新作ならとりあえず観てみよう”と思ってもらえるような状況で。そういう立場をいただけたことは大きな財産だと思うので、だからこそ、その立場でしかできないことをやりたい、興味がない人でも観てしまうような作品で、何か意味のあるものを観客に返さないといけないと思いました。そしてそれは、ただ面白い作品を作ったのでは、いただいたものを返すことができないな、という感覚がありました」
「もしも私があなただったら」という想像力で作品を作る
―― ご自身にとって、東日本大震災はどのような経験だったのでしょうか。作品作りに影響を与えましたか。 「2011年を境に、作るものの内容が少し変わったと思います。もしも自分が被災した当事者だったらどうしただろうと考えざるを得なくなりました。『もしも私があなただったら』という想像力は、僕たちが常に考えているような、身の回りに当たり前にあるものだと思います。例えば、誰かに自分のことを好きになってほしい時、もしも自分があの人だったらどういう言葉で伝えれば受け入れてくれるだろうかと考えますよね。東日本大震災は、日本人を被災の当事者と非当事者に分けてしまうような出来事で、僕は非当事者でしたが、『あの町に住んでいたかもしれない自分』というものを想像することがあります」 「そういう想像力が、『君の名は。』の入れ替わりのストーリーにつながっています。東京に住む少年が、被災地の少女と入れ替わる。自分が彼女だったらどうしただろうということを、物語世界の中心に据えつけられるようになった。僕にとってその決定的な出来事が、東日本大震災でした」 ―― 『すずめの戸締まり』は震災を描くこととエンターテインメント性の両立という難易度の高いチャレンジを成功させ、地理的にも時間的にも遠くまで届く作品だと思います。 「『すずめの戸締まり』も、『もしも私があなただったら』を想像させる映画として作りました。鈴芽は震災孤児ですけれども、もしも自分が震災孤児だったら、あるいは、その子の隣にいたとしたらどういう気持ちなんだろうということを知りたかったし、その気持ちを観客と共有することは意味があると思いました。それがこの作品を作る上での、僕の一番大きな思いでした」