平野レミ「〈ここには和田さんが半分入ってる〉樹里ちゃんに言われ、力強く握ってくれた息子の手が嬉しくて。そして料理が気持ちを前向きにしてくれた」
4年半あまり前、イラストレーターの夫・和田誠さんを亡くした平野レミさん。今なお悲しみは続いているそうですが、それでも「私は幸せ」と笑顔を見せます(構成:平林理恵 撮影;浅井佳代子) 【写真】夫・和田誠さんに見せなきゃ!と思った写真 * * * * * * * ◆おもしろくて料理好きの《三男坊》と 周りの人から、「いつも楽しそうですね」とよく言われます。テレビに出て喋ったりすると、「レミさんから元気をもらいました」なんて言ってくれる人も。声がデカいからか、乱暴な話し方のせいなのか(笑)。自分でもよくわかりませんが、そう思っていただけるのは、とってもありがたいです。 だって私自身も、私を元気にしてくれそうな人とつき合いたいから。世の中にはいろんな人がいて、明るい話をするときもくらーい表情で、くらーく話す人っているでしょう。そういう人は、やっぱり避けちゃいます。 嫌なことはしない! 嫌な人とは距離をとる! これはシンプルだけど、ご機嫌に過ごすコツかもしれません。 逆に、こちらの気持ちを上向きにしてくれる人には、オープンマインドでグッと距離を詰めます。少し前に、私とはまったく別の世界で活躍する33歳のピアニスト・山中惇史(あつし)さんと仕事で知り合いました。彼が弾くショパンは感動的で、涙が出るほど素敵なの。おまけに話がおもしろくて料理好き! すぐにLINEを交換して、今は私の友達、いや《三男坊》として自宅によく遊びに来てくれます。一緒にいるだけで幸せになれるんだから、こういう存在って大切よね。 私は仕事でもなんでも、「若い者には巻かれろ」の精神で生きているの。「長い物」ではなくね(笑)。若い人っていいですよ。発想が柔軟で、新しい意見やおもしろいアイデアをたくさん持っていて。 年長者として否定するのではなく、「わあ、それいいねえ」「やってみようよ」と、一緒に楽しんじゃっています。
◆つかむものが突然なくなって と、こんな私ですが、2019年に和田さんが亡くなったときは、本当に悲しくて、私以上に不幸な人はこの世にいないんじゃないかとさえ思いました。和田さんはいい人だったから、好きなことをさせてもらって、47年間幸せいっぱいの結婚生活だった。 お別れから4年半以上が過ぎましたが、いつだって会いたい、会いたくてたまらない。死ぬまで立ち直ることはないんじゃないでしょうか。 今日も、素敵に撮っていただいた写真を見た瞬間、「和田さんに見せなきゃ」と思いました。おいしいものを口にすれば「和田さんに食べさせたい」、仕事で帰りが遅くなれば「和田さんが待ってるから急ごう」。で、そのあと「ああ、もういないんだ」と寂しさに包まれます。 こんなことがいったい、いつまで続くのかしら。でもね、和田さんを思ったその瞬間瞬間には、和田さんはたしかにいるんです。だから私はたぶんこれからも、そうやって存在を常に感じながら生きていくのでしょう。 息子たちの前でもいまだに「お父さん、お父さん」と和田さんの話ばかりするものだから、最近は「お母さんは言いすぎだよ」って嫌がられるの(笑)。話ぐらいさせてよ、と思うけれど、これは彼らなりの「元気出せよ」という励ましなのかも。
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