SNSで炎上した芸能人を、執拗に叩く人は「正義中毒」に陥っている
脳科学者の中野信子さんによると、他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質である「ドーパミン」が放出されるといいます。この正義に溺れてしまった中毒状態・「正義中毒」はSNSでもよく見受けられ、著名人への誹謗中傷や、ネットリンチといった問題を引き起こしています。「正義中毒」とは何か? その背景と、社会に与える影響について、書籍『新版 人は、なぜ他人を許せないのか?』より解説します。 他人の幸せが羨ましい...「劣等感で苦しい人生」を抜け出すための言葉 ※本稿は、中野信子著『新版 人は、なぜ他人を許せないのか?』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
著名人にとってSNSは諸刃の剣
著名人がインターネットやSNSに参加することには、いくつものメリットがあります。ファンや支持者に直接メッセージを発し、時にはコミュニケーションを取ることで関係性が深まりますし、場合によっては販促などにも貢献するでしょう。 かつてはマスコミの力を借りなければできなかった意思表明も、自らのコントロール下で自由に行うことができます。例えば、急にスキャンダルが浮上したとき、記者会見を開かずとも、SNSやブログ、動画サイトなどで自由に意見や考えを述べることができるようになったわけです。 反面、よく起こっているわりに見落とされがちなデメリットもあるように思います。 著名人や専門家は、何らかの専門分野を持ち、あるいは何らかの世界で実力を広く認められているからこそ人々に知られているわけです。しかし、SNSでは、質問することに慣れて事情もわきまえた記者ではない、一般の人が、興味本位で尋ねてくることがあります。それにつられるなどして、自らの専門分野外の事柄について、基本的な知識がないままに発信してしまうことがあります。 あるいは、最近のニュースや話題に対して感想を述べたり、ごく日常の出来事をSNSに投稿したりしたところ、それが「常識外れ」だとか、「案外無知だ」「失礼だ」「人をバカにしている」などという文脈で批判されてしまうこともあります。 さらに、ちょっと高級なお店で食事をした、ブランドものの商品を購入したなどと投稿すれば「贅沢自慢」と妬み混じりの非難をぶつけてくる人にも出くわします。 これもまた、SNSの普及が生んだ一つの光景ではないでしょうか。 新聞や雑誌などの一方向的なメディアの時代では、著名人や専門家は、基本的には自分自身の世界でのみ露出し、その分野に関する意見だけを述べていれば事足りました。つまり、一般人から攻撃されるような機会も危険性も限定的であり、コントロールは比較的容易だったわけです。 しかし、SNSの出現により、自分の専門分野以外の部分で意見を求められるケースが格段に増えた結果、応援してくれる人のために良かれと思って発信している私生活やその他の情報も想定外の受け止め方をされ、正義中毒にかかった一般人たちに「ツッコミどころ」を与える結果につながるようになったのです。 むしろ、著名人だからこそ、何かあればそれまでのイメージとの落差が大きくなることもあり、下手をするとそれがきっかけで活動を大幅に制限されてしまうリスクがあるわけです。 相手との距離が縮まることで欠点が見えるようになってしまうという現象は、じかに接するリアルな人間関係でしか起こりようのなかったことです。典型的なのは、仲の良かったカップルでも、結婚してしばらく経つと互いの粗が目立ち、場合によっては離婚に至るような例です。 SNSには互いの距離を近づける効果があり、同時に自分の知名度の多寡がフォロワー数を通じて簡単に比較できるメディアです。それだけに、フォロワーを増やす目的で、プライベートな情報を必要以上に露出しなければという焦燥感に駆られる人がいるのではないかと危惧します。 例えば、子どもを産んだ女性俳優やタレントのなかには、ファンサービスとして、いわゆる「ママタレント」として子育て日記を公開している人もいると思いますが、ポスト(投稿)が多過ぎると、「子育ての方法が非常識だ!」「子どものプライバシーを切り売りしている」などと批判を受けてしまうようなケースも見られ、胸が痛みます。 それまでいくら「女性の憧れ」として、あるいは新たな「理想のママ」として人気や尊敬を集めていたとしても、ちょっとした情報発信ミスにより、あるいはミスした意識すらないまま、正義中毒者から許せないと標的にされてしまうこともあるのです。場合によっては強烈なアンチを招き入れてしまうことがあるかもしれません。これは、イメージが非常に重要である職種の人々にとっては、死活問題と言えるでしょう。 いわゆるアンチのなかには、重度の正義中毒者も存在していると考えられます。彼らは、日々SNSを通じて会ったこともない著名人に妬みと憎しみを重ねていき、場合によっては、自らが社会正義の体現者であるかのように思い込んで、実際に凶悪な犯罪行為に出てしまう可能性もあります。