美術館は何のためにあるか。国立西洋美術館初の現代美術展企画者、新藤淳主任研究員にインタビュー
女性作家の収蔵品の少なさ。美術史の編み直しを
―展覧会の図録には、参加作家ほぼ全員のインタビューが掲載されていますね。飯山由貴さんとの対話では、国立西洋美術館の所蔵に女性作家の作品が非常に少ない問題について触れられていました。実際、どのくらいの割合なのでしょうか。 新藤:現状ではとても少ないです。少し前にデータベースから抽出した資料なので現在は多少変わっているのですが、例えば絵画の点数でいうと男性450点以上に対して女性6点。これは作品数をもとにしたデータですので、作家数の比率ではありません。つまり、同一作家で複数の作品を所蔵している場合には、それらがすべて数に入ってくるということです。彫刻は当館の場合、多くがロダンのものですが、作品数だけでいえば、男性作家の作品と女性作家のそれとの比率がおよそ100対1です。具体的な個数でいうと、女性作家の彫刻は1点のみです。 その1点というのも、つい数年前、2021年度に購入したカミーユ・クローデルの作品です。この購入は前館長の馬渕明子さんのご意向が強く働いたものでしたが、それまで女性作家の彫刻は1点もなかったんですね。彫刻の購入は鋳造の問題などもあって難しいとはいえ、ゼロであったことはやはり大きな問題だったと思います。 ―想像以上に少ないですね。国立美術館全体としても女性作家の割合を増やす方針になっているとのことでしたが、この課題についてはどうお考えですか。 新藤:広く国際的な潮流ですよね。女性作家の価値上昇はアート・マーケットの力学ともなんら無縁ではありませんから、それとの関係は慎重に考えていくべきだと感じます。ですが昨今では、各研究員がいかに女性作家の作品を増やしていくかを課題にしていて、私自身、今後そういうふうに動いていくことができたらと思っています。例えば『あいちトリエンナーレ2019」では女性作家と男性作家を半々にするという考え方がありましたよね。あれは現代美術展のジェンダー・バランスがどうしても不均衡ということで、ひとつのアファーマティブ・アクションとして実行されたといえますが、初めはそういったラディカルな提案や行動が必要だと思います。 ただし、ずっとそれでいいのかというと疑問もあります。というのは、例えばジェンダー・バランスをとるために女性作家さんを入れるという話になってくると、それは作家さんに対して非常に失礼だと思います。今回の展覧会で、そういうふうにして女性作家さんにお声がけしたケースはゼロです。この作家さんに問いを投げてみたいと考えたからこそそうしたのであって、それは断言できます。 戦後の美術史を考えてみたときにも、優れた仕事をしていた、またはしている人に目をきちんと向けてさえいけば、美術史の言説や美術館のコレクションに占める女性作家の作品の割合はおのずと増えていくのではないでしょうか。そうなっていなかったのは、男性中心主義、ひいては白人男性中心主義があったからで、これはあきらかに脱却が必要だと思います。美術史の言説が編まれ直していくのと同時に、美術館が表象する美術史というものも見直していかなければなりません。そのためにはコレクションがなければできませんので、国立西洋美術館もいまはまだ、そういう歴史を編むための途上にあるかと思います。