なぜ甲子園4強は史上初の近畿勢独占となったのか?
大阪偕星で甲子園出場経験のある現・倉敷高の山本監督は、近畿地区以外のチームが不利だった理由をこう推測した。 「高野連から割り当てられる各チームの宿泊先が都市部に集中しており、近くで練習場所が確保し辛いのが実情です。近畿地区のチームが自前のグラウンドでたっぷりと練習できるのは大きいですよ。新型コロナ禍での宿泊となると、ほとんど缶詰状態。そこに雨でしょう。何もできないことで最も影響を受けるのがピッチャーで、フィジカル面がガタっと落ちる。そのコンディションの良し悪しが近畿4強という結果に表れたのかもしれません」 1977年にエースとして智弁学園をセンバツ4強に導き、その後、近鉄バファローズのストッパーとして活躍。さらに東北楽天イーグルスの編成部門に携わり、現在は福井高でヘッドコーチとして球児を指導している山口哲治さんも、こんな見方をしている。 「雨が心配なのはむしろ春なんですよ。夏はそこまで気にしなくても良かった。でも今年はちょっと異常でしたね。高野連が指定する割り当て練習は雨が降ったときが大変。よっぽど監督さんにパイプがないと室内練習場がある施設を確保できないでしょう。さらに今年は新型コロナ禍で外出ができず、選手のストレスは相当だったでしょう。感染してはいけないというプレッシャー。そのあたりも地方のチームにはマイナスに働いたでしょうね」 近鉄時代には横浜高の松坂大輔が、甲子園の大会期間中に調整のため藤井寺球場の雨天練習場を訪れていたことがあったという。 今大会で4強に残っているチームの某主力選手の父親も地元であるメリットを教えてくれた。 「甲子園で試合をしてから自校のグラウンドで練習すると、いままでと違う感覚で練習ができた、と言うんですね。ちょうど卒業後に訪れた小学校のグラウンドが小さく見えるように、甲子園でプレーしたことが本人の中で自信となり、成長を感じ取ったのでしょう」 明石商の好意で練習場を確保できた長崎商は九州勢、最後の砦として3回戦まで進出した。宮崎商の新型コロナ感染による辞退で1回戦が不戦敗となり、8月24日まで試合がなかった智弁和歌山にいたっては、高校のグラウンドに戻り、紅白戦を実施し、県大会から延べ1カ月あいたブランクを克服していた。甲子園が遠ければ調整は難しかっただろう。 一方で、馬淵監督は、こうも証言していた。 「近畿勢のレベルが高かった」 そもそも4強に進出したチームのレベルが突出したものなのだ。 智弁和歌山に完敗した石見智翠館の末光章朗監督も「コツコツとスコアリングポジションにランナーを進められて次の手を打たれ、その流れを最後まで止めることができませんでした」と実力差を認めた。 4強は、どのチームも選手層が厚く、プロ注目のドラフト候補生がズラリと並ぶ。智弁学園の3番を打つ前川は、今大会で2戦連発したスラッガーで今秋のドラフト1位候補としてリストアップされている。近江の投手&3番の“二刀流”、山田は7回にバックスクリーンへ特大の一発を放ち、投げても最速146キロをマークした。京都国際のサウスポーの森下も、4番も打つ“二刀流”で、この2人は、まだ2年生ながらプロのスカウトが注目している。