『ゴジラ』作曲者が「ハリウッド版」を見て、覚えた違和感…元祖ゴジラとの「決定的な違い」があった
80年代の『ゴジラ』の音楽
――東宝チャンピオンまつりでゴジラに出会った世代にとっては、ゴジラは人類の味方だったわけで、原点回帰となった最近の作品を拝見すると全く違う映画だなと思います。80年代以降、岩瀬さんが実際にゴジラシリーズの音楽制作に携わられた際のお話も聞かせていただけますか。 復活した『ゴジラ』(1984)の企画が出た時に、坂本龍一さんに音楽を頼んでみようかという話が出て進めようとしたんだけど、実現できませんでした。その次に大森一樹監督で 『ゴジラvsビオランテ』を撮ることになって。プロデューサーの富山省吾さんと音楽をどうするかと話して、ゴジラを新しくしたいんだったら昭和から離れるべきだと言ったんです。 大プロデューサーの田中友幸さんや録音技師が、「伊福部さんの音楽だとゴジラがデカくなるんだ」って言うわけです。じゃあどうしてもというのであれば、ゴジラが登場するシーンには伊福部先生の音楽を使って、他のところは作曲家を替えた方がいいって言ったんです。 で、ちょうどその時、流行ってたのがゲームのドラクエ(エニックス (当時)「ドラゴンクエスト」)だったこともあって、すぎやまこういち先生に頼んだ。そうしたらすぎやま先生もかっこいい音楽を書いて下さったんです。映画が完成してみると、すぎやま先生の音楽もとても素晴らしいのですが、ゴジラが登場するところに流れる伊福部先生の音楽のアクの強さが圧倒的で、すごく印象に残りました。
「昔のやり方」にこだわったワケ
――その次の『ゴジラvsキングギドラ』で伊福部先生が再び音楽を担当されましたね。 先生は「もう映画音楽はやりませんから」って仰ってたんですよ。『お吟さま』(1978)という作品を最後に10年以上東京音大の学長のお仕事に専念されていたから。それで富山プロデューサーと相談して、なんとかお願い出来ないかと先生のお宅に伺ったんです。 で、2回断られたんですが、3回目に先生が、「他ならぬ田中友幸さんの頼みでもあるし、三顧の礼の例えもあるからやらしていただこうかな」と。その時の条件としては、 東宝の録音センターで映写しながらの同時録音でということで。当時はもう音楽録りは全部外のスタジオで、セパレートスタイルで録る時代で音楽録音の機材は録音センターにはない。昔のやり方だとかなりお金もかかるんです。でもプロデューサーがそれでもいいと言ってくれたので。 考えてたよりも はるかに大変で。ライブ録音用の機材車を横付けにして、マイクコードを引っ張り、手元ランプの付いた譜面台を揃えて。しかも8月末の暑い時期、機材車は電気を喰うし冷房もガンガン効かせて電気量が足らなくなって。普段やらないような課題が山のように起きました。それでもなんとかこぎつけて、最初のラッシュ映像(※編集途中の映像)を大きなスクリーンに映して、先生が棒を振った時には「おー、すごい!」と感動でした。外のスタジオでビデオを見ながらでは、この音は出ない。先生が録音センターで同録に拘ったのが納得でした。 ――伊福部先生の久しぶりの映画音楽ということでオーケストラの方々の緊張感もかなり伝わったのではないでしょうか。 先生は日頃から「綺麗な音楽である必要はない。映像を見せちゃうのが一番早いんです」と仰ってました。演奏家の人達も録音が始まるとみんな後ろの映像を見ながら納得するんです。格闘シーンとかだと演奏も力強く、ちょっと荒っぽくなる。一発録りだからもちろんいつもと違う緊張感もあったけど、みんな喜んでたんじゃないかな。若い演奏者にとっては古きよき時代の贅沢な音楽録音が体験出来たわけです。 その後「ゴジラvsデストロイア」まで全部で4作品を担当して頂き、8月末の録音は恒例となりました。「ゴジラvsメカゴジラ」の時の音楽録音の様子は映像に残しており、これを見せて映画音楽の録音はこうだったと映画の学校で話すことがあります。