『ゴジラ』作曲者が「ハリウッド版」を見て、覚えた違和感…元祖ゴジラとの「決定的な違い」があった
幸運な偶然だった
――そうやって贅沢な環境で映画が撮られていた時代のことをこれから現場に入っていく人達に伝えるのは大事ですね。最後に改めて岩瀬さんのゴジラや伊福部先生への想いをお聞かせください。 作曲家と監督、あるいは作品との組み合わせは本当に偶然で、伊福部先生がよく仰ってたのですが、「どういう基準でプロデューサーが作曲家を選ぶかっていうのは、私は未だにわからない」と。 ただ、ゴジラで先生が決まったのは、当時は大編成の音楽を書ける作曲家ってあんまりいなかったんです。そういうオーケストレーションをちゃんと勉強していた人が。それと映画音楽はクラシックの作曲家を目指す人には一段低く見られていた。そんな中で重厚なシンフォニーの様な音楽を書ける数少ない作曲家の1人が先生だったわけです。だけど、それ以上の理由がどこにあったかはわからない。あの頃1か月に5本10本映画が作られていた中で、作曲家のローテーションも大変だった。そこで伊福部先生とゴジラが出会えたのは、ほとんど奇跡。こういう幸運なこともあるんだなと思います。 作曲家にとって、純音楽を書くときは自分が全てを決められる。 だけど映画音楽の場合は映像という絶対的なものがあって、監督という絶対的な存在がいるわけです。映画は、そういう絶対者を祭り上げないと成立しない。みんなが主観を言っちゃったら成り立たない。作曲家は自分にないものを要求されたり、思いが異なる場面にも応じざるを得ない。 ゴジラに関しては、伊福部先生は微塵も自分を曲げないでやれちゃったんです。本多(猪四郎)監督がとても理解ある人だったことも大きかった。それは本当に幸運なことだったと思います。先生には現代映画の恋愛ものの依頼とかもたまに来たらしいんだけど、あまり好きじゃなくて、ハモンドオルガンを使ったりしてお茶を濁してたらしいですから(笑)。 それで、ゴジラが来た時に、「ああいうゲテモノ映画はやめた方がいいよ」って作曲家仲間内から言われたにもかかわらず、「不本意な恋愛映画で自分にないものをやるくらいだったら、このままの自分を出せる映画がいい」って引き受けた。結果、ゴジラにとっても良かったし、先生にとっても良かった。本当に幸運な偶然だったと思っています。 ――伊福部先生の音楽や特撮映画の音楽が、令和の今もこうして潤沢に聴くことが出来るのはやはりサントラ盤の新たな可能性を切り拓いた岩瀬さんの役割が非常に大きかったのだと思います。 いや、私はたまたまそういうポジションにいて今に至ってるだけなので。貝山さんとか竹内君とか、周りの人のアドバイスや提案もあったおかげで形に出来たことは結果的によかったと思ってます。作品に対するマニアックな志向が高まっていった時代のタイミングもありましたね。
鈴木 啓之