食事が取れなくなった90歳代女性 愛犬がそばを離れず奇跡の回復 1年後に迎えた最期に女性が残した言葉
ペットと暮らせる特養から 若山三千彦
神奈川県横須賀市にある特別養護老人ホーム「さくらの里山科」では、犬や猫と一緒に暮らすことができます。施設長の若山三千彦さんが、人とペットの心温まるエピソードを紹介します。 【写真5枚】悲しみを乗り越え、精いっぱい生きるミック
ペットと暮らせる特別養護老人ホーム「さくらの里山科」の入居者、瀬川安江さん(仮名、90歳代女性)と愛犬ミック(ヨークシャーテリア系のミックス犬、雄、現在12歳)とのストーリーは、これまで2回、本コラムで取り上げてきました。 認知症を患っていた瀬川さんは、日常生活を送れなくなる寸前の段階までミックと“2人暮らし”を続けた後、「さくらの里山科」に入居しました。そして、ホームに入ってからも“2人”はいつも一緒でした。瀬川さんがリビングに出てくれば、ミックも後をついてきて、瀬川さんが自分の部屋に戻れば、ミックも一緒に戻るという具合です。車いすで過ごす瀬川さんの膝の上か、瀬川さんが寝ているベッドの上がミックの定位置でした。 長年、何代にもわたって犬を飼ってきた瀬川さんが「こんな子は見たことがない」というほど、ミックはすばらしい忠犬でした。だから瀬川さんが入院された時は大変でした。ミックは瀬川さんを探して、ずーっとユニット(区画)の中を走り回り、鳴き声を上げていました。やがて、退院してきた瀬川さんにしがみつくミックを見た時、職員が涙ぐんでしまったほどです。
朝までひたすら寄り添っていたミック
退院後の瀬川さんは、ほとんど食事が取れなくなり、このまま看取(みと)り介護を始めることになるのかと私たちは覚悟を決めたのですが、瀬川さんはそこから奇跡の復活を遂げます。奇跡が起きたのは、ミックのおかげであるのは明らかでした。 ミックはベッドに横たわる瀬川さんから片時も離れませんでした。ミックがベッドの上でおなかを見せて転げ回ると、瀬川さんは笑い声を上げて喜んでいました。ミックが気持ちよさそうに寝ていると、瀬川さんは懸命に腕を伸ばしてミックをなでていました。そうして瀬川さんは生きる気力を取り戻し、奇跡の復活を遂げたのです。 ところが、瀬川さんは90歳代後半という超高齢であり、老衰で体が弱っていきました。一時的に元気になられても、老衰は治るものではありません、奇跡の復活を遂げても、また徐々に、徐々に体は弱ってきました。1年後には、また何も食べられなくなってしまいました。今度こそ看取り介護の始まりでした。ご家族は泊まり込んでの付き添いを始めました。ミックは枕元から離れず、ひたむきに瀬川さんを見つめています。愛するミックと子どもたちに囲まれて、瀬川さんは幸せそうでした。 だんだん物が食べられなくなり、水分も取れなくなり、木が枯れるように徐々に衰弱していき、自然に息を引き取る、というのが老衰で亡くなる場合の典型例です。最期の数日間は、ほとんど意識がない場合が多いのですが、瀬川さんは珍しいことに、亡くなる直前まで意識がありました。最期の言葉は「ミックをお願い」でした。ユニットリーダーの出田恵子が、「ミックは私たちが面倒をみますから大丈夫ですよ」と答えると、安心したように、かすかにほほ笑んだそうです。 瀬川さんは夜中に息を引き取りました。ご家族は朝までのわずかな時間、いったん帰宅され、部屋には瀬川さんのご遺体とミックだけになりました。ミックは瀬川さんのそばから離れませんでした。ミックの様子は明らかに普段とは異なっていて、鳴き声一つ上げず、みじろぎもせず、朝までひたすら瀬川さんに寄り添っていたのです。「まるで瀬川さんに別れを告げているようだった」と、何回か様子を見に行った夜勤職員は語っていました。