読書のプロ・鴻巣友季子がおすすめ「2024年必読の21作品」を一挙紹介します!
魔女たちの物語の先へ
19 フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』宇野和美/訳 早川書房 メキシコ文学の輝かしい新星フェルナンダ・メルチョール。メルチョールはデビュー作から、故郷ベラクルス州の政治腐敗とはびこる暴力とセックスの闇について書き、独自の地歩を築いてきたが、『ハリケーンの季節』はそこに「魔女」というテーマを融合させた傑作である。 冒頭、ラ・マトサ村の水路で「魔女」と呼ばれる女の腐乱死体が発見される。首を切られながら、顔は微笑んでいたらしい。この魔女は母の跡を継いだ二代目で、人びとに疎まれる一方、じつは堕胎などを請け負い、陰で大きな影響力を持っていた。 「魔女・鬼婆の子(ハグ・シード)」が登場するシェイクスピアの『テンペスト』の図式を幾重にも変転させているといえるだろう。『テンペスト』のハグ・シードであるキャリバンと違い、本作の魔女は村人を支配している面もある。彼女を「おかま」「ホモ」「女装した男」などと呼んで快く思わない人びともいるが、そのクィアネスがベラクルスの男性社会のマチズモを攪乱し、そのいびつさを照射する。 ラ・マトサ村はメキシコの近代化の挫折を象徴してもいるだろう。異質でクィアな魔女を放逐する共同体を描きつつ、州と国の歴史、現在につづくアメリカとの軋轢を浮かびあがらせる。ラ・マトサは今後、ガルシア=マルケスのマコンド、ボラーニョのサンタテレサなど、ラテンアメリカの架空都市に連なる村になるかもしれない。 20 九段理江『東京都同情塔』新潮社 芥川賞受賞作。生成AIによる言語の衰退、やさしいディストピア世界、ポリティカルコレクトネスの影響力など、多様な解釈を容れる2020年代らしい小説だが、私は本作をある種の魔女文学としても読んだ。 舞台は、新たな高層タワーの建設が計画される現在と、おそらく死刑が廃止された2030年の近未来の日本だ。トーキョートドージョートーという回文みたいな通称で呼ばれるそのタワーは、つまり刑務所である。いまこの国には「犯罪者」「受刑者」といった言葉や概念はなく、「ホモミゼラビリス」(同情されるべき人びと)という名称を得て、平等で快適な塔に入れられているのだ。 語り手/筆者の一人は、この塔を設計することになる牧名沙羅という30代後半の女性建築家だ。彼女に声をかけられた22歳の高級ブランド店のバイト東上拓人、牧名について煽情的な記事を書くマックス・クラインという(ポール・オースターが別名義で書いた探偵小説の主人公と同じ名前の)アメリカ人ジャーナリストの三人。 本作は、”やさしいディストピア”の物語であると同時に、人間の正しさと不寛容をめぐる小説でもあるだろう。ホモミゼラピリスは傷を負ったキリストの磔前の図「ミゼリコルディア」をなんとなく想起させるのだが、これらのイメージの連鎖はラストで見事にあるくだりに接続する。 読み進めるうちに、本作は図抜けた才能をもつ女性に石を投げ、罰し、排斥しようとする「魔女文学」の系譜にも当たることがわかる。牧名は「社会を混乱させた魔女は死ね」などと攻撃されつづけて建築の仕事を辞める羽目になり、ある若い男はそんな牧名の半生をどこかの他人が「魔女の伝記」として書く前に自分で書こうとする。 終盤に牧名沙羅がセメントで固められて石像になる姿を幻視する場面がある。人びとは像を囲んで指さし、口々にこう言う。「見よ、彼女だ」と。このセリフにはEcce homoとアルファベットでルビが振られているが、これは磔にされたキリストに人びとが投げつけた言葉だ。「見よ、この人だ」と。ホモ・ミゼラピリス、ミゼリコルディアからのイメージの連鎖がここに収斂する。 『ハリケーンの季節』で共同体の記憶と意識が集合化するのと正反対に、『東京都同情塔』で言語は離散し、日本語とその話者の無思考性も指摘される。「君たちの使う言葉そのものが、最初から最後まで嘘をつくために積み上げてきた言葉なんじゃないのか?」と。そう、本作はバベルの塔の再崩壊の物語とも言えるのだ。 21 森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』中央公論新社 作者自身のスランプの謎を投映した迫真のミステリーだ。シャーロック・ホームズ・シリーズの翻案の形だが、舞台は京都、ヴィクトリア朝京都である。そこに登場するホームズ、ワトソン、モリアーティ教授、レストレード警部らは揃ってスランプの真っ最中。 一方、ドイルのシリーズで影の存在だった人びとが活躍するのが、この語り直し作の核心とも言える。ホームズの記録係に甘んじていたワトソンの自我が語られもするが、とくに注目は有能な女性たちのリトールドである。第二章「アイリーン・アドラーの挑戦」では、ドイルの「ボヘミアの醜聞」でホームズをみごとマスグレーヴ家の儀式出し抜いた元オペラ歌手が、元女優という新設定で帰還し、ホームズの下宿の向かいに探偵事務所を構えて大人気を博す。 ホームズにべったりの夫に顧みられずにきたワトソンの妻メアリの心情が細やかに描きだされ、彼女のクリエイティヴなしっぺ返しが展開する。ホームズの「マスグレーヴ家の儀式」で失踪したまま有耶無耶にされた不遇のメイドも蘇る。結婚をめぐって「竹取物語」が挿入される。 これはホームズの陰に隠れた有能な名優たちの「凱旋」であり、森見の創作哲学論としても読めるのがファンにはうれしい。 2024年おすすめ小説21(後編) ※順不同 10 ヨン・フォッセ『朝と夕』伊達朱実/訳 国書刊行会 11 赤松りかこ『グレイスは死んだのか』新潮社 12 サマンタ・シュウェブリン『救出の距離』宮崎真紀/訳 国書刊行会 13 朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』新潮社 14 小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』文藝春秋 15 ジュリー・オオツカ『スイマーズ』小竹由美子/訳 新潮クレスト・ブックス 16 柚木麻子『あいにくあんたのためじゃない』新潮社 17 小川哲『スメラミシング』河出書房新社 18 ヴァージニア・ウルフ/著 ヴァネッサ・ベル/画『月曜か火曜』片山亜紀/訳 エトセトラブックス 19 フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』宇野和美/訳 早川書房 20 九段理江『東京都同情塔』新潮社 21 森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』中央公論新社
鴻巣 友季子