読書のプロ・鴻巣友季子がおすすめ「2024年必読の21作品」を一挙紹介します!
幻想のまにまに
10 ヨン・フォッセ『朝と夕』伊達朱実/訳 国書刊行会 昨年ノーベル文学賞を受賞して以来、それまで邦訳がなかったフォッセの翻訳書が少なくとも四冊は出ている。小説が二冊と戯曲が二冊。 『朝と夕』は、ある男性の誕生の瞬間からその生がべつな次元に移行していく――すなわち死――ひとときを静かに、しかし鮮烈に捉えた傑作中の傑作だ。 二部構成の第一部は、漁師の息子ヨハネスの生誕を描き、第二部でははるかに時が飛んで、愛する妻のアーナを喪い、寡夫となって独居するヨハネスの生活が描かれる。 同じように過ぎていく日々。そんなある朝、起きても節々が痛くない。体が軽い。海辺を歩いていたヨハネスは死んだはずの親友ペーテルに出会う……。 フォッセ独特のピリオドのない文章。それは魂と意識に終わりはなく、ただ、自己と他者の境界のない「別なところ」へと融解していくことを表しているかのようだ。第二部は命尽きる前に男が見た走馬灯をゆっくりと引き延ばしたものなのかもしれない。他者のものとしてしか経験できない死を生者の目で見つめ、最後の最後に視点の転換が起きるのも鮮やかである。 11 赤松りかこ『グレイスは死んだのか』新潮社 暴力を恃んで馬や犬を調教してきたある中年男がいる。「調教はその枠に、何の感情も持たず、自分から入っていくようにすること」「躾は誉める、叱るのバランスが必要だが、調教は時に応じた痛みを与えることがすべて、そうじゃないすか? いや、そうなんす」と嘯く、どこか狂気を感じさせる人物だ。大江文学の香りがする。 いま彼の飼い犬グレイスは原因不明のまま死にかけている。男はかつてこの犬と深山に踏み入り、遭難して死にかけた体験を獣医に語りだす。過酷なサバイバルのなかで、調教の軛は次第にほどけ、人間と犬の主従関係が逆転しはじめる。本能のままに鹿の屍に食らいつくグレイスに、男は猟銃を向けて……。 ナラティブにも、作者の才気が輝きでている。男の一人称独白の形式をとらず、その話を聴く女性獣医の「再話」として語られるのだ。その語りの差異にこそ作者の文学性が煥発する。 獣と人、屈服と交感のはてに、一体なにが死んだのか? 人間の抱える洞(うつお)を暗く照らしだす傑作だ。たいへんな力量の新人の登場に感嘆した。 12 サマンタ・シュウェブリン『救出の距離』宮崎真紀/訳 国書刊行会 いまをときめくスパニッシュ・ホラーの傑作。優れた幻想・奇想・ホラー小説に授与されるシャーリイ・ジャクソン賞を受けているが、まさにジャクソンの『絞首人』などを髣髴させる技法と夢のタッチをもつ。 舞台は大豆畑の広がるブエノスアイレス郊外の村。一人娘をもつ中年女性アマンダはなぜか瀕死とおぼしき状態で伏せっている。その横、耳に息がかかるぐらいの近くで話をしているのは、彼女の友人の九歳になる息子だ。二人の不思議な問答のようなものがつづき、ナラティヴは断片的で、気がつくとタイムラインがシフトしており、なにが現実でなにがせん妄による夢想なのか判然としがたい。 なぜアマンダは死にかけているのか。精神性のショックか、肉体的なダメージか。そこには環境破壊や農薬公害の問題が浮かびあがってくるだろう。なにも確定できないテクストを読むうちに、読者は自らのなかに物語を増幅させ、恐怖を募らせる。「虫」があなたの体に入り込む。本作は告発小説ではない。見つめるのは人間の中にある毒と弱さである。