京アニ放火殺人、事件の背景に見えてきたのは…ロスジェネ世代の「一発逆転の呪い」 雨宮処凛さんインタビュー
1997年に定時制高校を卒業したのは最悪のタイミングでした。これが87年だったら、バブル真っ最中。バイトをしながら定時制高校を皆勤で出た青葉被告は「意欲のある若者」として就職には困らなかったでしょう。 その後、彼はいろいろなバイトを転々していますが、いくら頑張っても時給は対して上がらないんですよね。それなのに正社員並の責任を押し付けられていく。当時はそうしたアルバイトの搾取が始まった時代で、このことはまだ社会問題にもなっていませんでしたが、青葉被告も悔しかったのではないでしょうか? このように90年代は、非正規雇用の矛盾が個人にしわ寄せとして現れてきているのに、社会的に注目されない時期でした。むしろ「フリーターは怠けてて、甘えててやる気がないんだ」とずっとバッシングされていた時期です。青葉被告の「報われない」という気持ちにはそうした背景があるのだろうと思います。 私も1994年から99年までフリーターでしたが、世間の冷たさや無理解は感じていました。フリーターは「夢追い型」とか「モラトリアム型」などと分類され、労働問題として語られることはなく、心理学的な分析ばかりされていたんです。「若者は理解不能なモンスターだ」というわけです。でも実際は、みんな氷河期で就職できなくて働いているのに…。結局、社会問題だと気づかれるまで10年くらいの時差がありました。
青葉被告の場合、コンビニに約8年間も働いていたわけですが、もし正社員だったらそれなりの実績になるはずですよね。でも「フリーターを8年間」と履歴書に書くと、それはマイナスの評価となってしまう。当時はまだ若者の就労支援もないし、条件が悪い時に社会に出てしまった。実際、このころに社会に出た人が、失った時間を取り戻せていないというのが、困窮者支援の場で活動している実感です。 ▽寄る辺ない人たち ―青葉被告のような悪条件にあえぐ人たちは多いとのことですが、一方でほとんどの人は事件を起こさずに済んでいると思います。差はどこにあるのでしょう? 青葉被告の公判でも、友達の話が出てこないですよね。特に、事件前の数年間。彼に一人でも友達がいたら、例えば京アニのアニメの話をしながら(オタクの趣味を深める活動を指す)オタ活みたいなことをして楽しく過ごせたかもしれない。 ロスジェネだと職業人としての自己実現が難しいので、推し活で人生を充実させる人も多いんです。もし彼に友達がいて、「京アニが自分の作品を盗作している」って話をしたら「それ妄想だよ」って笑い飛ばされて終わったんじゃないでしょうか。でも、孤立して脳内の自分と会話するだけになると、どんどんおかしい方向に行ってしまう。