巨匠ジウジアーロの渾身作に世界が騒然!! 117クーペ市販化へのいすゞの意地
日伊合作の自動車開発の成功例
117クーペは1968年にデビューして、1981年6月にピアッツァにバトンチェンジする形で生産を終えた。その直前の1981年2月にデビューしたのが初代トヨタソアラ。1960年代の名車が、その後の日本車クーペの象徴となる初代トヨタソアラとごく短い間だがリンクしたのは感慨深いものがある。 117クーペは約13年のモデルライフで8万5549台を販売。日本専売の高級パーソナルクーペとしてはかなり健闘したと言えるのではないか。特に最初期のハンドメイドは、クルマというよりも芸術作品と言っていい一台だ。 117クーペは、日伊合作の自動車開発の成功例として評価され、2014年に『日本車殿堂 歴史車』として選定された。 【いすゞ117クーペ主要諸元】 全長4280×全幅1600×全高1320mm ホイールベース:2500mm 車両重量:1050kg エンジン:1584cc、直4DOHC 最高出力:120ps/6400rpm 最大トルク:14.4kgm/5000rpm 価格:172万円(4MT) 【豆知識】 1962~1967年まで生産されたトヨタクラウン、日産セドリック、プリンスグロリアに対抗すべく開発されたいすゞの高級セダン。いすゞのオリジナル乗用車の第一弾モデルでもある。エクステリアデザインはイタリアのカロッツェリアギアが手掛けた。タクシー業界との関係もあって乗車定員は前後3人乗りの6人だったのも特徴だ。単なる高級セダンではなく、1963年の第1回日本グランプリで活躍し、いすゞの技術力の高さをアピールすることにも成功した。ただし、販売面ではそれほど爪痕を残せなかった。 市原信幸 1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。 写真/いすゞ、ベストカー