巨匠ジウジアーロの渾身作に世界が騒然!! 117クーペ市販化へのいすゞの意地
新車価格は今の貨幣価値で1000万円オーバー
その一方で大人4人が快適に移動する快適性は考慮されていて、後席の両サイドには灰皿、リア用のヒーターダクトが用意されていてクーペながら後席の快適性をアピール。 そんな117クーペだが、ビックリするのがその価格。デビュー時の価格は172万円!!117クーペの前年にデビューしたトヨタ2000GTの新車価格が238万円で今の貨幣価値で言えば2000万円クラスと言われているので、1000万円オーバーは確実だ。通常の2Lクラスのクーペの2倍程度の価格だったという。高価格となったのは、ハンドメイドだったことも大きく影響している。
マイチェンで量産化
前述のとおり117クーペはハンドメイドによって市販化することができたのだが、1973年のマイチェンを機にライン生産に切り替わる。1971年にいすゞはアメリカのGM(ゼネラルモータース)と提携。資金援助、技術サポートなどにより実現したのだ。 そのためマイチェン後のモデルもデビュー時同様に丸目だが、リアコンビが大型化されたほかプレスしやすいように変更されるなどデザインは変わっている。 マニアの間ではデビューからマイチェンまでのモデルは特別な存在で「ハンドメイド」と崇める一方、1回目のマイチェン後のモデルは「量産丸目」と呼んで区別している。マニアから言わせれば「まったく別物」となる。 そのマニアから話を聞くと、117クーペのパーツのなかでインテリアのパーツ、ウインカーレバーやスイッチ類が欠品していて、流用するものもないので壊れたら自作するしかないという。
賛否両論だった角目
117クーペは2度のマイナーチェンジにより3つの顔が存在する。前述のハンドメイド丸目、量産丸目のほか、1977年のマイチェンで角4灯に劇的変更。角目により精悍なフロントマスクとなったが、特別感はなくなった。 実際に最後のマイチェン時には117クーペの新デザインは否定的な意見も少なくなかったようで、自動車雑誌『ベストカー』の1978年6月号の誌面では、『デザインの改悪は許さない!!』というテーマで、117クーペユーザーといすゞ自動車が激論を交わすなど喧々囂々あったみたいだ。 そのほか117クーペのトピックとしては、リア部分を延長してシューティングブレーク化した117クルーザーをいすゞは開発していたが、市販化されなかった。理由は実用性を得た代わりに117クーペの美しさが損なわれたからだ。