教室から席がなくなるのはイヤ──「ともに学び、ともに育つ」大阪府独自のインクルーシブ教育、揺らぐ足元
枚方市と豊中市は大阪府の中でも「ともに学び、ともに育つ」教育を引っ張ってきた自治体だとされる。インクルーシブ教育や大阪の原学級保障に詳しい関西学院大学の濱元伸彦准教授は、文科省の通知について「大阪の原学級保障のしくみを狙い撃ちしたもの」と指摘する。 「日本の中でも希有な実践、そして国際的に見てもインクルーシブな教育実践が大阪にはある。それは日本が今後、障害者権利条約に則してインクルーシブ教育を進めていこうとした時に、一つのモデルとなるものです。国際的に通用するものを根絶やしにして、新しく作り出すのは時間の無駄だと思います」
「障害者を分離する社会につながる」 当事者らの危機感
文科省通知から4カ月近くが経過した2022年8月、国連・障害者権利委員会による日本の障害者政策の審査がスイス・ジュネーブであった。日本が2014年に批准した障害者権利条約に基づいて初めて行われた審査だ。委員会は翌月、障害のある子どもを分離する特別支援教育をやめることなどを勧告。文科省通知についても「撤回」を強く要請した。 審査では、日本政府の報告だけでなく、障害者団体など民間の9グループが提出した「パラレルレポート」の内容も吟味された。このパラレルレポートで文科省通知の問題を訴えたのが、障害者が地域で普通に生活できるようなサービスを提供する豊中市の自立生活センター「CIL豊中」の上田哲郎さん(46)だ。
新生児期の核黄疸で脳性麻痺になった上田さんは、小2までスクールバスで養護学校(現在の特別支援学校)に通っていたが、小3から地域の公立小学校に入った。1980年代に地域の友達とともに学び、ともに育ってきた、大阪の原学級保障の申し子ともいえるだろう。 上田さんは2年間の養護学校時代について「1クラス3人で、クラスメイトに同じ市の子はいない。先生と話すことがほとんどで、子ども同士でやり取りする経験が不足していた」と振り返る。地域の小学校に通い始めた直後は、あまりの環境の違いに適応できず泣きじゃくっていたが、じきに慣れたという。「養護学校時代は放課後に遊ぶ環境はなかったけれど、放課後も友達が近くにいるので、みんなと遊べた。子どものルールを知ることができた」と思い出を語る。当時の友達とは今でも付き合いがある。 そんな上田さんにとって、原学級保障を崩しかねない文科省通知は、許せるものではないという。「支援を受けながら、通常学級でほぼすべての時間を過ごしてきた私にとっては、これまでの人生すべてを否定されたようなものです」と語気を強める。 しかし、この勧告の4日後、永岡桂子文部科学大臣は閣議後会見で「通知はインクルーシブ教育を推進するもので、撤回を求められたのは遺憾」と述べた。 上田さんがジュネーブで意見交換した委員の一人は「障害者を分離する学校は、そのまま障害者を分離する社会につながる」と話したという。上田さんは言う。 「文科省が『遺憾だ』と言っても、地域で育つことの意味を大阪の先生たちや子どもたちは知っている。一緒に過ごすことでしか、理解は広まりません。広まるわけがないと思う。『共生社会の推進』というのであれば、これからも原学級保障をしていかなあかんのです」