7連覇の米国に完敗も日本女子バスケット代表が手にした銀メダルの価値「試合ごとに違う選手が活躍するスーパーチーム」
世界ランキング5位の女子フランス代表に87-71で快勝した、6日の準決勝のスタッツと比べればアメリカ戦の敗因が浮き彫りになる。50%を記録した3ポイントシュートの成功率は31本中で8本成功の25.8%に、3ポイントを含めたフィールドゴール全体の成功率は52.5%から77本中で28本の36.4%へと激減していた。 「決勝ではアメリカにアジャストされてしまい、自分たちのバスケができていない部分がありました」 こう振り返った町田のアシスト数は「6」と、五輪史上最多を記録した準決勝の「18」の3分の1にとどまった。シューターを封じられたのだから無理もない。ボールを持っていなくてもマークされる、いわゆる「ディナイ」され続けた林も続いた。 「アメリカは抜け目なかったけど、それを振り切れるぐらいのパワーやテクニックを身につけていかなければいけないと思いました」 オフェンスリバウンドで後塵を拝し、息つく間もなくファストブレイクを繰り出され、ゴール下での高さとパワーに屈する展開から失点を重ねた。一度もリードできないまま喫した黒星は、バスケット大国アメリカを本気にさせた証でもあった。 東京五輪を最後に代表からの引退を表明している40歳のレジェンド、ポイントガードのスー・バードは、試合後にこんな言葉を介して日本を称賛している。 「40分間を通して日本は気が抜けない相手でした。対戦するのはとても大変だけど、見ていて本当に楽しいチームです。彼女たちに心から拍手を送りたい」 決勝用に用意してきたディフェンスシステムで対抗するも、アメリカのインサイドゲームを食い止められなかったトム・ホーバス・ヘッドコーチは、「これがバスケットだ」と結果を受け入れながら五輪の歴史を塗り替えた日本の選手たちに目を細めた。 「表彰台に上がった選手たちを見て、とても誇らしく感じた。父親のような気分だよ」
現役時代に日本リーグのトヨタ自動車や東芝でプレーした54歳のホーバス氏は、一時帰国をへた後の2010年に指導者として日本バスケットボール界に復帰。女子日本代表史上で初めての外国人ヘッドコーチとして、2017年4月から指揮を執ってきた。 もっとも、就任時に「東京五輪の決勝で母国アメリカを倒して、金メダルを獲得する」と掲げた壮大な目標は、日本のバスケット界に関わるすべての人々に額面通りに受け止められたわけではなかった。笑われることも珍しくなかった。 12年ぶりに出場した2016年のリオ五輪の準々決勝で、64-110と46点差で惨敗していたのだから無理もない。しかし、日本人の特長を熟知するホーバス・ヘッドコーチは無尽蔵のスタミナ、スピードを駆使したトランジション、正確さを誇る3ポイントシュートで、身体は小さくても世界と戦えると信じて疑わなかった。 日本代表の活動期間は、練習の大半が戦術の徹底にあてられる。指揮官が用意するフォーメーションは、攻守両面で「100」を大きく超える。全体練習で身体と頭脳をフル回転させた選手たちは、合間に必死に積み重ねた個人練習でシュートの精度も上げた。 「楽しい練習というのは存在しない。一番楽しいのは試合に勝つことであり、優勝することだ。だから、女子日本代表チームの練習は厳しいんだ」 自らの指導方針をこう振り返るホーバス・ヘッドコーチのもとで導入された、2010年代にNBAファイナルを3度制覇したゴールデンステート・ウォリアーズの象徴でもある「スモールラインナップ」は、193cmの長身を誇る大黒柱、センター渡嘉敷来夢(30・ENEOS)が右ひざの故障で東京五輪出場を断念したことでさらに徹底された。 そして、妥協を許さない指揮官が課してきた過酷な練習の成果は、決勝での15点差のスコアに反映されていた。アメリカの7連覇中で、女子オーストラリア代表を74-63で振り切った2004年アテネ五輪に次いで少ない点差だったからだ。 スターターの5人の連携が断ち切られた苦境で、交代でコートへ送り出された選手たちがポイントを積み重ねたからこそ、最後までアメリカに食い下がれた。 たとえば昨年11月に負った右ひざ前十字じん帯損傷を乗り越え、東京五輪直前に復帰を果たしたポイントガードの本橋菜子(27・東京羽田)は、5本中で4本を成功させた3ポイントシュートを含めて、チーム2位の16得点をあげている。